アニメ「虐殺器官」とオバマの戦争

アニメ「虐殺器官」は確かに小説の方の発表時点での「ショッキング」な内容に関しては、指摘の通りなのだろうが、その後のISとアメリカとの戦争などを考えると、

  • ほとんど実現

しているような印象さえ受けるわけで、だとするなら、そういった「表面的な予言」を超えた部分に、その現代的な意味を指示しなければならなかった、という難しさがあったんじゃないのか、とは思うわけである。
確かに、細かい所でまだ実現していないようなVR的な「仕掛け」が描かれてはいるが、こういったものも、それそのものはなくても、例えば、ポケモンGOのような、かなり近いものはでてきているわけで、ほとんど、新鮮味がなかったりするわけで、実際にこういった延長でなにかが実現しようがしなかろうが、あまり大きなインパクトを感じない。
同じことは、テロ殲滅部隊が「感情を遮断する薬」のようなものを使っていて、同じようなものを、相手のテロリスト側も使っていることに怒りを表明する場面があるが、これなどは、たとえそれと同等のものはなくても、古くからある

  • 麻薬

が、戦前の帝国日本軍もカミカゼ特攻を行うときには使っていたし、今の米軍がドローンを使って、敵や民間人を殺すときも使っているし、ISが使っていることも知られている。
映画「アメリカン・スナイパー」において描かれた、クリス・カイルが見たイスラム勢力の「勇敢」な戦闘員の姿は、むしろ「麻薬」ゆえに「勇敢さ」だったと考えるなら、まさに、このアニメ「虐殺器官」の世界と通じるものを見出してしまう。
また、認証システムの裏をかくために、他人の指紋や眼球紋などを使って、つまり、セキュリティホールをついて、このコンピュータ社会をハッキングして生きていくというのは、別に、未来の話でもなんでもなく、ほとんどそういったことは、今でも起きているし(そういえば、この前のアメリカ大統領選挙でさえ、そういった問題の話だったわけで)、つまり、細かい

  • 仕掛け

がどういったものになるかに関係なく、そういった想像の同等物こそ、まさに「現代」におけるリアルな問題になっていると考えると、そこまで、SF的に問われなければならなかったというのも違う印象を受けるわけである。
そういった意味において、映画で描かれていた「ショッキング」なSF的な仕掛けは、ほとんど、実現しているというのが正直な感想なわけである。
アニメ「虐殺器官」におけるクラヴィスと、映画「アメリカン・スナイパー」のクリス・カイルを比べたとき、私は今のアメリカにおけるトランプ政権の真価は、

に対して、結果としてであれ、抗えるような政権になるのかに関係している、と思っている。大事なポイントは、オバマはしょせん「官僚」であったわけで、ブッシュ政権から続いた、アメリカの「戦争」を

  • 継続

したし、その「効率化」を追及した。その一つの結果が、クリス・カイルなど映画「アメリカン・スナイパー」で描かれたような、悲惨なアメリカの

の姿だったわけであろう。今は亡きリチャード・ローティが、アメリカのこういった戦争を「プラグマティズム」の延長において、全面的に「肯定」したことは、結果として、

に正当性を与えた(私はこれこそリベラルの「堕落」だと考えている)。彼らはしょせん「官僚」だから、「法」で戦争が行われている限り、それを

  • 正しく行う

ことに抗う動機をもたない。慣性的に戦争を続けて、止めることのできない「オバマの戦争」に対して、どういう形であれ、トランプが「アメリカの戦争」を沈静化させられるのか? 問題は、どういう形であれ、戦争の「規模」の縮小にある。トランプの言う「アメリカ・ファースト」は今は、保護貿易であり、他国への非干渉主義の方向として、多くの識者には受けとられている。大事なポイントは、しょせんオバマ

  • 戦争の縮小

に舵を切れなかった。テロとの戦いを「慢性的な世界戦争」としての泥沼を維持する方向でしか振舞えなかった。しかし、逆に言えば、それが「リベラルの限界」を意味している、と考えることもできるわけであろう...。