日本と中国

日本と中国を比較することに、どれだけの意味があるのかは分からないが、まあ、韓国を含めて一つだけはっきりと違っていることとしては、中国の人も韓国の人も、アメリカへの移民ということを、日本人など比べものにならないくらいに考えている、ということではないだろうか。
それは、日本人の場合、言語の壁があるということもあるのだろうが、基本的に中国の方は現金に考えていて、改革開放路線を走ってきて、資本主義を生きている中国が「どこまで」それを維持できるのかに不安を抱いているのであろう。
それは、中国の外貨準備高の額に関係しているわけで、中国の方はみんな、国家の財政が怪しくなったら、国外に「逃亡」すればいいと思っているから。そもそも、国外の例えばアメリカに「移住」できるということは、中国という

を離れて、民主国家の「住民になれる」ということなのだから、彼らにしてみれば一種の「夢」ということになるわけであろう。
こういった態度というのは、ニューアカブームのときに、浅田彰が「逃走」論と言ったように、逃げればいいんだ、ということになるわけであろう。
あらゆる「判断」に対して「コミットメント」をせず、どんな「判断」にも、「デタッチメント」を続ける。まあ、東大の「表象文化論」みたいなもんだw
いずれにしろ、中国人の富裕層はそうやって、すぐに中国から「逃げる」から、簡単に、外貨準備高が底をつく。
まあ。この事情は韓国も変わらないのであろう。
ところが、日本の場合は、ほとんどの日本国民が基本的に外国で「稼ぐ」というマインドがないから、外貨準備高の心配もあまりしなくていいし、銀行の取り付け騒ぎにもならない。世界の中で、日本語だけを話して生きていけるのが、この日本列島にしかないということが、そういった選択肢を「最初」から捨てていると思われる人が多いということが、それなりの経済の安定さえをもたらしていると考えると、なにをか言わんや、ということなのだろうが...。