若井敏明『「神話」から読み直す古代天皇史』

例えば、平泉澄建武の中興として、後醍醐天皇については多く言及したが、古事記日本書紀にはあまり言及していない。それは「神話」の世界のこととして、ある種の「ユートピア」として、歴史学の対象とすることを遠慮したのかもしれない。
しかしそれは、津田左右吉もある意味ではそうなのであって、彼の天皇機関説は、戦前のアカデミズムに多くの波紋を残したが、その彼が古事記日本書紀についてどう語っていたのかとなると、どっちが「リベラル」とかそういう話ではない、といったようなことを掲題の著者はこの本で語っている。

ここで津田は、神武東征を否定することで「我が国は制服国家ではないということ」が明らかになることがもっとも重要で、津田の著作は「皇室の尊厳を損なうような説」が成り立たないことが読者に「自然にわかるようにしてある」のだという。
この津田の言葉を、裁判を有利にするための戦術とみることもできるかもしれないが、私はそうは思わない。むしろそこには津田の隠された本心が吐露されていると考える。なぜなら、戦後になって天皇制への批判が活発化したとき、彼はこの「研究」を根拠に「我らの天皇」を主張して、反天皇制論者に猛然と反論したからである。あたかもこの時のために用意してあったかのように私にはみえる。
神武東征の肯定が否定に変わったのが大正二年(一九一三)から八年(一九一九)の間であることから推測するに、この間、つまり第一次世界大戦の時期に、ロシア、ドイツ、オーストリアハンガリー二重帝国と、次々に王制が倒されていく状況を受けて、津田は、日本の皇室をそのような目に遇わせないために、「記紀」が伝える征服者としての天皇や皇室像を否定しなければならなかったのだろう。デモクラシーが浸透してくれば、やがては君主制のひとつとして天皇天皇制への批判がおこってくることを見通し、津田はそのための布石を打っていたのだ。並みの歴史家、思想家とはレベルがちがうと言わざるをえない。
このようにみれば、津田左右吉記紀批判とは、じつはたいへんな政治的思惑を秘めたものなのであって、たんなる実証史学の成果としてその結論を受け入れるのは問題だということがわかるだろう。

これは、天皇機関説蓑田胸喜津田左右吉を糾弾したから、津田は「リベラル」なはずだとか関係なく、津田はずっと

  • 御用学者

として振る舞っていたし、それが「当たり前」だった、ということなのである。このように考えたとき、津田が記紀を「歴史じゃない」と言ったことはどこまで「科学」だったのかが疑われる。大事なことは「科学」は、国家という「宗教」においては、常に「御用学者」的に振り切れる、ということなのだ。
さて。
記紀とは何だろう?
一つだけはっきりしていることは、これが「文字」だということである。つまり、これを書いた人たちがいた。もちろん、この時代においては、中国ではずっと高度な文字文化が存在していて、国家官僚を中心として、そういった「文字」に通暁した人たちがいた。
しかし、この日本列島においては、その当時まではそういった文字を扱うといった人たちがいなかった。
もちろん、「会話」は存在していた。それは、人が生きているわけで、言葉を話していなかったわけがない。しかし、こういった中国で発展していた「文字」が普及していなかった。
では、どうやって記紀はできたのか?
まあ、普通に考えれば、中国または朝鮮半島から、そういった「文字に通暁した人たち」が日本に来たのであろう。彼らは日本に定住するに従い、次第に日本列島の原住民が話している会話に通暁していくであろう。それと同時に、これらの会話を「記録」していくはずなのである。なぜなら、そのための「文字文化」に通暁しているのだから。
これが、記紀である。
記紀はたんなる「神話」ではない。また、たんなる「イデオロギー」ではない。これは、ある意味において、彼らにとって「正しい」ことが書かれなければならなかった。それは、天皇が「万世一系」であることを擬制するために行われた、さまざまな「工夫」が記紀に刻まれていない、ということを意味するのではなく、たとえそういった「小細工」がされていたとしても、十分に彼らが

  • 記録しておきたい

なにかが、その擬制をかきわけて読み取れるようなものになっていなければならなかった。ようするに、「その時の彼ら」が納得いくものでなければならなった。
よく考えてみてほしい。日本書紀のこの「細かさ」がまったくの「嘘」だとするなら、この「空想」の方こそが異常なまでの「細部の細かさ」ではないのか。
掲題の本において、著者は神武東征にしても、ヤマトタケルにしても、神功皇后朝鮮出兵にしても、言われてみれば確かにと思われるような「妥当」な推論をしているわけだが、考えてみれば、この程度のことも歴史教科書に書かれなかった日本の「知識人」って、なんだったんだろうな、という思いにさせられる。
日本では、ひとたび「天皇」という言葉が発せられると、あらゆる「思考」が停止する。だから、だれも記紀を読まないし、読んで「批評」してはならない、と思っている。ようするに、日本には「タブー」がある。日本の批評は「タブー」を避けて語られるなにかしらにすぎなく、それが国家を傾けてきた、という自覚が知識人にはないのだ...。

「神話」から読み直す古代天皇史 (歴史新書y)

「神話」から読み直す古代天皇史 (歴史新書y)