資本主義原理主義

資本主義は「主義」じゃない、ということがよく言われるが、「原理主義」ではあるんだよねw
どういう意味かというと、よく資本主義が「主義」じゃないと言われるのは、そうやって何主義者というように本人が「選べる」ようなものではない、という意味で、この世界の人間世界が資本制によって、がんじがらめになっていて、その外には出れない、という意味なわけで、まあ、分からなくはない。
しかし、よく考えてみると、だから資本主義は「人間が立ち向かえない」ような「運命」のようなものとして忍従しなければならない、というわけであろう。
もちろんそれが、資本主義に代わる何かを、オールタナティブなものとして提示できるかどうかといった、二元論的な話ではない。ある程度は今の資本主義と同じシステムで回っている部分がたとえあったとしても、それをある程度人間がコントロールしていなければ、たんに非人道的な結果が生まれ続けるというだけなのだから。
ところが、である。
いわゆる、「反左翼」思想家は、資本主義の「反対」を、ソ連共産党スターリンとかになるわけで、つまりは全体主義でありファシズムのことを「反資本主義」と言って、戦っているんだよね。そして、どうやってお金持ちの稼いだ資産を国内の貧乏人の福祉で奪われないかを云々している。
つまり、彼らにとって

  • 今の資本主義の、リバタリアン的な貧乏人とお金持ちの所得の格差が拡大し続けること

は、あまりにも「自明」の動かしがたい「運命」のような、神聖な「前提」であって、その上で、どうやって地球の裏側の飢えている人を助けるか、みたいな話をしているんだよねw
つまりこれって、

じゃん。つまり、絶対に資本主義だけは「いじってはダメ」っていうことだけは全ての前提になっているんだよねw 恐しいね。まあ、こういった勢力を代表していたのが、ヒラリー・クリントンやEUのお偉いさん方であったわけで、つまりは「エスタブリッシュメント」なんだよね。
おもしろいよね。他のあらゆることについては、「原理主義」に反対しておいて、こと資本主義という「原理主義」だけは、絶対に譲れないんだってさw まあ、彼らにとってなにが譲れないのかが分かりやすくていいのかもしれないけどw