御用学者合理主義

この前は、菊池誠先生が怖いね、という話をさせてもらったが、別に、あの人が特殊というわけではなく、一般に物理学者の人にはおかしなことを言う人が多いということなのではないか、と思うんですよね。有名な近藤宗平のブルーバックの本でも、彼が死ぬ直前の3・11を受けて書かれた第3版で、普通にホルミシス的なことを書いているわけで、ようするに、物理学者自身の中の多くが

に近いことをやっている。というか、それくらいエキセントリックなことを言わないと、国から大学の予算がもらえない。自分たちのコミュニティがもともとそういうところだから、よけいに、世の中がおかしくないはずがない、と言いたがる。そういう意味では、むしろ自己批判を含んでいるわけであろう。
例えば、中西準子がどこかで書いていたと思うが、例えば水俣病があれだけ被害が大きくなったのも、有害物質をたれ流したとして、それで多くの住民が被害を受けたとしても

  • そういった被害者への「賠償」の額に比べて、企業活動を止める方が「功利主義」的な被害が大きい

と判断すれば、企業活動を止めないんだよね。企業活動を止めるということは、同じような業種が同じように活動ができなくなるというわけで、国際競争力が弱くなって、国力が衰える、と。一度、成長を止めてしまえば、他の国と大きな差をつけられて、未来永劫追いつけなくなる、と。メモリ事業での、サムスンに差をつけられた東芝みたいなもので。
つまり、こう考えるわけである。
こうやって、水俣病で病気になる住民の苦労と、企業が「規制」をすることによって、国力が衰えることによる国際競争力を失うことの国家存亡の危機を

して、後者の方が事態が深刻だと考えると、前者をなんとか「黙認すべき」という判断になる、というわけである。しかし、それを「そのまま」言うと、角が立つ。よって、御用学者の役割となる。彼らは、「しらばっくれる」わけである。一見すると、それが科学の「結果」であったかのように見せかける。もちろん、そういった御用学者は、その分野の専門家では

  • ない

わけだが、素人には区別がつかないような別の分野の専門家だったりして、いろいろ有識者につっこまれて、嘘がばれたとしても「僕はこの専門じゃないから」としらばっくれられる。
中西準子が提案したのは、そうやって病気になった人に「それにみあった」保障をすればいいのなら、そっちの方が「得」なんじゃないかというのは、まあ、彼女はその分野の「専門家」だから、あまりに露骨は嘘はつけなかった、ということなのであろう。まあ、正直に言っただけ、専門家として立派なのかもしれないがw、それ以降、だれも彼女の言っていることが、住民のことを考えた住民側に立って発言してくれていない、と思うようになったわけで、まあ、そりゃあ誰も信用しなくなるよなあ...。