そもそもの話として、どうして「科学者」の言うことを
- 信じる
のだろう? まず、その前提がおかしい。私たちが信用するのは、その科学者が自らの「専門分野」について語ることには一定の「社会的価値」があるというだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだから。それは、
- ニセ科学批判をしている科学者
であっても同じであって、ニセ科学批判をしているということは、きっと「正義感」にあふれた人なんだろうから信用していいんじゃないのかというのは、そもそもの
- 科学者の言うことは信用できるかどうか
に関係のない、社会的、政治的な文脈なわけであろう。
大事なポイントは、私たちの日常を考えれば分かるわけである。私たちは、自分の企業秘密に関係したことを他人に話せるだろうか? 自分ができないことを科学者に求めても無理筋なことは変わらない。
まさに、カントの『啓蒙とは何か』の論点になっているところで、それを「専門家」として「論文」として出させることで始めてそれは、
- パブリック
になるのであって、一般的な「パブリック」と「プライベート」の意味と逆なのだ。あくまで、自らの「専門」として「コミット」したから、その範囲でその科学者の言うことに社会的な価値があるとされるのであって、それ以外の文脈で彼らが「おかしな」ことを言い続けるのは、私たちがそうであるのと変わらない。だれが言おうが同じようにデマは
- デマ
なのだ...。