エイヤッ主義

3・11の低線量被曝の影響が問題にされたとき、通常時の1ミリシーベルトが問題にされた。つまり、福島県はもはやその基準を満たしていないのだから、そこに住み続けるためには、この基準を採用できない、と。
じゃあ、実際どうなの? どこまでなら住み続けられるの? という話になったとき、単純に考えて、この1ミリシーベルトの基準を緩和すれば、福島の人は今の土地に住み続けられるということで、まあ、この基準を緩和すればいいんじゃないのか、という連中があらわれたわけだが、彼らを人は

  • 安全厨

と名付けたわけである。しかし、ここで一つの問題が現れた。つまり、では、何ミリシーベルトならいいのか? その値を具体的に明示しなければならないわけである。1ミリシーベルトではダメだとするなら、じゃあ、何ミリシーベルトにするのか? つまりこの、計算の

  • 根拠

を示せるのか、ということが問題になったわけである。今、福島は20ミリシーベルトという、あまりにも高い値を容認したことで、海外から多くの批判の声がよせられているが、国内においても

  • なぜ東京だと1ミリシーベルトなのに、福島は20ミリシーベルトを受忍しなければならないのか。これは一種の「差別」なのではないか?

といった批判があらわれている。
ここで問題なのは、その積算根拠なのだが、まあ、はっきり言ってしまえば、「エイヤッ主義」だというわけである。そりゃそうである。根拠なんて示せないのだから。なにかを「エイヤッ」としたのだ。しかし、おそらく彼らなりの「直観」のようなものはあるわけである。それが、まあ、「オーダー」といった感覚で、つまり、桁の感覚で、次元が違うと。低線量被曝とはいっても、一発の原子崩壊が人間を癌にするわけないじゃないか、と。じゃあ、どこまでなら、そういった人間への影響を無視できるのか、と。
まあ、これがいわゆる「しきい値」問題というわけであるが、じゃあ、逆になんで、ICRPは「しきい値」なしモデルを採用しているのか、という話になるわけで、この議論は、

  • いや、そもそも、ICRPを始めとした「専門家」が頭がおかしいんだ

というのが、「しきい値なしモデル」を批判する「安全厨」勢力の主張だったわけであるが、だったら、そういった論文を学会に発表をすればいいのにやらない。やらないということは、自分が今言っていることがなぜ、学会では主流派になっていないのかの、なんらかの理由のようなものを、言っている本人も、だいたい察している、というわけなのであろう。
そういう意味では、「エイヤッ主義」は一種の無根拠ゆえに、「暗闇への跳躍」といたものなのであって、本当の意味での「適当」なわけなのだ。そして、なぜそんな「適当」なことを言わされることを強いられているのか、ということを考えれば、ここに本来のこの問題の核心が隠されている、ということになる。
なぜ、「エイヤッ主義」は、うさんくさいし「危険」なのか?
以前も批判したが、東電が発表した福島第一の廃炉費用は、なぜか

  • 2013年2兆円
  • 2016年8兆円

となって、6兆円も増えている。というか、これは「見積り」なわけだが、驚くべきは、見積りがここまで増えるということだけでなく、

  • なんでプラス6兆円でおさまるのか

がさっぱり意味が分からないことなのである。

田辺文也 スリーマイルの時の燃料のデブリの取り出しから輸送までの費用が9・73億ドルかかったというんですね。しかし、スリーマイルと福島のデブリの量を比較すると、福島だと一基あたり、だいたい290トンだと。それはスリーマイルの約倍だと。福島の場合は三基あるから、三倍だと。それで六倍だと。かつ、デブリの位置が炉内全体に分散している。それから、放射線量が高いから、遠隔作業が必要だという形で、単純な六倍ではなくて、26倍から30倍になるだろうと。かつ、物価上昇率を考慮すると、50倍から60倍かと。それで、さきほどの9・73億ドルを為替換算。わたし、なんで100円なのかわからないのですが、1ドル100円で計算しているんですね。それで、9・73億ドルかける100円かける50倍から60倍で、最大6兆円のプラスとでてくるわけですね。
VIDEO NEWSなぜわれわれは福島の教訓を活かせないのか

これが

  • エイヤッ主義

である。大事なポイントは、そもそも福島第一の拡散したデブリの取り出しの方法すら決まっていないのに、というか、それが可能なのかさえ決まっていないのに、

  • 50倍から60倍

という具体的な数値がでてきてしまうことの「悪魔」なわけである。大事なポイントは何か? おそらくこの数値は

  • 私たちが、これくらいの値に収まるなら、今の廃炉の方法に反対しづらい

だろうと思われる値に収まるように「逆算」して、

  • エイヤッ

されている、ということなのである。もしも、ほとんど「無限」のお金が廃炉にかかるなら、今の「方法」自体を見直さなければならなくなるし、他の原発を動かしていいのかの判断にも影響してくるはずなのだ。
ようするに、物理学者に経済学を語らせてはならない。物理学者に「エイヤッ」と国家経営を計算させると、いつのまにか、国家が滅びているのだ...。