保守と幼児虐待

今回の森友学園の問題では、自民党ネットサポータークラブや、保守系まとめサイトがあまりうまく機能していないように思われる。それはおそらく、自民党のトップの安倍首相や、大阪維新のトップの松井府知事が深く関わっており、彼ら自身の進退にまで影響しかねない状況になっているために、事実をそっちのけで、

  • 保身

に走っているため、「自分たち」という一体感のあった、保守系の内部分裂、内ゲバが起きているため、ということになるのであろう。そもそも、彼らネトウヨアイデンティティは「同じ仲間」という「自明性」にこそあったのだが、安倍首相や松井府知事が、さっそく、籠池氏を

  • トカゲのシッポ切り

としたため、あまりにも自明な「嘘」が彼らの「連帯」の自明性に疑いを起こさせている。
これは何を意味しているのだろうか?
おそらく、安倍首相や松井府知事という頂点の腐敗のために、どうしてもその戦略の指示が、この二人からでざるをえない。つまり、

におちいっている。そもそも、籠池氏の証人喚問を受けた時点で、彼が「あらゆる」ことを話すことは自明であり、「パンドラの箱」を開けたような、膨大な情報がダダ漏れになることは明らかであった。しかし、おそらくトップの安倍首相の意向が籠池氏の証人喚問だったので、その意向には背けなかったのだ。
早い話が、ネトウヨ騒動の中核には常に、安倍首相や橋下徹大阪市長といったような

  • アイドル

の絶対無謬性、イノセント性に支えられていた。いや、むしろそこが「左翼」という「インテリ」の「戦略=嘘=欺瞞」との違いなんだ、と解釈していた(本居宣長の漢意(からごころ)批判ですよね)。
おそらく、今回の森友学園問題は、今の保守系の政治基盤の屋台骨をつき崩すような、かなり決定的な日本の政治の地殻変動を起こすのではないかと思っている。
それに対して、この重大な危機を前にして、いつもの東浩紀先生は平常運転のようである。

今回の事件で教訓とすべきは、要は日本のエスタブリッシュメントっていまスカスカで、籠池みたいな無教養で無知な人物でもすり寄っていけばすぐ政権中枢と知り合いになれるし大物ぶることができる、そういう国だってことですよ。そこがもっとも大きな教訓であって、この事件にそれ以上の深みはない。
@hazuma 2017/03/23 18:23:07

そしてべつにこれ、保守派とか安倍政権とかに限らない話だと思うよ。ぼくもむかしはちょっとは有名でいろいろシンポやらパーティやらに誘われたからわかるけど、ほんとこの国は、才能や知識の有無と無関係にコネだけで動いてるよ。え、こいつが?みたいなのいっぱいいる。社会全体の腐敗の問題だって。
@hazuma 2017/03/23 18:25:31

すげーな。「無教養で無知」だと、政治に関わってはいけないんだってさ。自分のような

  • 「無教養で無知」でない

人間しか、政治に関わってはいけない。こんなことを言う人間には死んでもなりたくないねw しかし、ここで注目したいのは前半ではなく、後半の自分には「コネ」があると言っているところであろう。
例えば、ナマポ騒動というのがあったが、おそらくこれは自民党によるネット戦術だったのであろう。生活保護を受けている貧困層

  • 道徳的

に人格攻撃をするわけだが、こういった行為にかなり「共感」したことを、東先生は以前からよく言っている。

それぞれの人間に応じて、それぞれの人間の生存を保障するためには、大量の個人の生活情報が公開され、しかもそれをみんながチェックできる必要があります。BIも税金からでているわけだから、その税金を何に使っているのか、説明責任が発生します。
東浩紀「情報公開型のベーシックインカムで誰もがチェックできる生存保障を」)

ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

生活保護に対して、それこそ2ちゃんねるみたいにネット上で、「あいつら不正受給でうまい目見てるんじゃないか」という嫉妬の怨嗟が出てくるのは、結局情報が公開されてないからです。BIというだけではダメで、使途を原則公開するしかないと思います。極端な話、万人が万人のBIをガメてて、子供を放置してパチンコばっかり通っている」とか、変な詐欺が横行するだろうと誰もが予測してしまう。そういう告発や怨嗟に対してこそ、オープンネスを使えば良いんじゃないでしょうか。あそこの家はおかしいよ、と考える人が所定の法的な手続きを経て、検査機関に訴えたり、チェックできるようにすればいいと思います。
東浩紀「情報公開型のベーシックインカムで誰もがチェックできる生存保障を」)
ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

ただ、僕がいっているのは、オープンになるのは結局ギリギリの生存のお金だけであるような世界です。すべてを丸裸にする監視社会の話はしていない。オープンネスとセットになったBIなんて気持ち悪い、自分は絶対匿名的なところに行きたいんだという人は、それとは別の市場で金を調達し、プライバシーを買ってもらえばいい。
東浩紀「情報公開型のベーシックインカムで誰もがチェックできる生存保障を」)
ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

上記の、3・11前の小泉ネオリベ議論がまだ盛んであった頃に、やたらとインテリがベーシックインカムについて賞賛し始めていた頃に東先生が「参戦」したときの発言で、どこが恐しいかといったら、

  • オープンになるのは結局ギリギリの生存のお金だけであるような世界

なわけであろう。つまり、この「情報公開」は、お金持ちには適用されない。まさに、生活保護を受けなければならないような、自らの

  • 尊厳

がおびやかされている、貧乏人だけが、こういったプライバシー公開の「強制」を受けなければならないという、一種の「奴隷制」を主張しているところなわけであろうL(弱者は弱いのだから、強者の「みんな」で<連帯>して弱者を管理して、この弱者と強者の上下関係を

  • 永遠

のものにしよう、というわけだ)。興味深いのは、いわゆる、生活保護のような、自分が国家からお金を「貰う」場合には、

  • 説明責任

があると言うなら、

  • お金さえ国家からもらわなければ、なんの説明責任もない

というのは、一種の「非対称性」が、国家制度には組み込まれている、と言っているわけであろう。というか、生活保護受給者には、「説明責任」があると主張する人に、私は始めて出会ったのだがw 生活保護に税金が使われたとして、そのお金の使途の説明責任は、「国家」側なわけであろう。国家はなぜ、その人にお金をあげたのか。つまり、その説明責任は、国家の方にあるのであって、なぜ国民が「プライバシーの公開」を強制されなければならないのか?
東先生の主張を敷衍するなら、私たちがアフリカの今にも、飢えて死にそうな人たちに税金を使って「命を救う」ためには、その飢えて死にそうな人の

  • プライバシーの公開

が必要だと言っているわけである。
これは一種の「奴隷制」ではないのか?

憐れみの背後には弱者への利害関心が潜んでおり、これは実際には同情の対象としての弱き者に対する権力への関心に他ならない。だから他者に対して憐れみを感ずることは、一種の権力感情----弱き者に対する強者としての自己の存在確認の喜び----を伴うのであり、他者の苦難と貧しき者たちに対する賞賛もそうした権力欲の表現であるとアレントはいうのである。
(牧野雅彦「アレントと政治的思考の再建」)

思想 2017年 03 月号 [雑誌]

思想 2017年 03 月号 [雑誌]

ハンナ・アレントが、ルソーであり、その意を体現したフランス革命におけるロベスピエールを批判したときの主張の主眼はここであるが、ようするに、強者の「悦び」は弱者を

  • 支配

していることなのであって、本当に弱者を助けたいのではない。弱者を「助ける」という手続きを介して、弱者を自分の「奴隷」にすることにこそ、本当の主眼が隠されている。つまり、弱者を「自分の思うようにできていない」ことに、いらだっているにすぎず、彼らを不透過な存在として、その存在そのものを認めているわけではない。
ルソーを礼賛する東先生にはどこか、こういったロベスピエール的(オウム真理教事件の頃の、「ああ言えば上祐」と言われた上祐史浩さんにも似た)、他者支配の欲望の危険さがある、ということになるのであろう。
しかし、いずれにしろ、こういった東先生の発言が、上記の「コネ」と深く関わっているのではないか、という推測はできるのではないか。

東 僕が批評家として育てた弟子の一人が、ある広告会社に入って自民党の総選挙の支援チームに入ったらしいんですね。それで詳細に話を聞いたんだけど、多くのスタッフがいて、毎日毎日の Twitter のツイートを分析して、「昨日はこういうツイートが多いので、今日はこの話題でいってください」というレポートを朝に届けるらしいんです。候補者はそのレポートをもとに街頭演説の話題を決める。
(中略)
つまりは、インターネットの情報はまったく草の根ではないということです。かつてゼロ年代にはネット選挙は、「弱小候補でも世界中に意見を表明できる」みたいな話になっていたけど、いざ実現してみると現実はまったく違っていて、単純にカネを持っている人たちがチームをつくり、代理店が物量作戦でビッグデータを分析し、大衆はその目論見どおりに動かされるだけなんですね。

これは、東先生が自民党からの指示で動く、電通がどうやってネット工作員を動かしているのかについて、東先生がかなり通暁していることを公にしている場所であるが(まあ、ここまでぶっちゃけて言っているということは、東先生自身もいろいろお金をもらって発言していると認めているのと変わらないんでしょうけどw)、別にこれは、「選挙」の前とか関係ないわけである。西田亮介先生が『ネットと自民党』という本で示唆されていたように、こういったネット工作員たちは、

  • 日々の工作活動を、日次で送られてくるパワポの資料

を見て、「一斉電凸」を行う。そういう意味では、ネトウヨの書き込みの大半は、こういった「プロ」と考えるべきであろう(そういえば、保守系の「まとめサイト」の運営を一時期、某大手ネット企業が行っていたということが「暴露」されていたが、ああいった「差別」的なサイトの管理に手を染めていたということ自体に、この

といった人脈の流れが想定できるわけであろう)。大事なポイントはそれの多くが「差別発言」で埋め尽されているということで、こういった「差別」を書くことを実質的に、自民党のそういった中心的な勢力が

  • 加担

していると考えられることで、この「危うさ」は今回の森友学園問題の政権基盤を揺がす可能性にも繋がっている。
例えば、東先生はいわゆる「左翼」がオワコンだということを、下記のように力説する。

東 その点については、僕は団塊世代の年齢がカギになると思っています。団塊世代は "心情左翼" がすごく多い。この世代が退場したら、状況はかなり変わるはずです。有権者としての退場はないけれど、言論人としての退場はある、いまは、哲学者の内田樹さん(1950~)、作家の高橋源一郎さん(1951~)、社会学者の上野千鶴子さん(1948~)といった左翼知識人が活躍していますが、彼らに続く人は下の世代にほとんどいない。団塊世代の影響力がなくなっていくと、バランスはかなり変わると思います。団塊ジュニアはすでにかなり右寄りだし、それより下の世代ではかなりマイナーでしょう。メディアはまだ左翼の知識人が欲しいからそういう人が目立つけれど、影響力はどんどんなくなっていくと思います。

正義について考えよう (扶桑社新書)

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しかし、今起きていることは、そういった「保守」を自称していた「ネトウヨ」たちの、なんらかの

  • 本質

が暴露されている、ということなのではないか、と思っている。つまり、「左翼でない」と自称し、それが「僕らの世代」だと言うことの裏には、こういった「ネトウヨ」たちが、本質的なところで

  • 幼児虐待

を避けられないような「原理主義」を内在させている、ということを意味しているのではないか、という疑いがある。
それは、籠池氏の朝鮮人差別、中国人差別が自らが経営する幼稚園に通う朝鮮人の子供、中国人の子供への「虐待」が問題になっている、というだけではない。日本人の子供であれ、彼らが

  • 非国民

と判断したら、その子供を虐待するのは「正義」になるわけである。そのことは、上記の生活保護を受ける人たちの「プライバシーを公開させて、みんなで<監視>する」という発想と変わらない。大事なポイントは、こういった

  • 奴隷扱い

を受けるのは、お金のない家庭だけで、つまり、「無教養で無知」な人たちだけでw、お金持ちたちは「プライバシーをお金で買う」から、そういった「いじめ」から逃げられる。つまり、事実上、幼稚園児の虐待を

  • 貧乏な家庭

の場合は認めているのと変わらないのだ。彼らがそういった「差別」を肯定する裏には、

  • 貧乏な家庭は子供を産んではならない

という「反福祉主義」の意図が隠されている。つまり、彼らが言いたいのは、貧乏人になんとかして子供を産まさせない、もしもそれでも産むというなら、こっちもお前たちを奴隷として扱う、という「管理」の思想であって、「格差社会」の固定化を目論む意図が隠されているわけである...。
(ていうかさ、そもそも、貧乏人が生活保護を受けるのを邪魔するって、 貧乏人への「虐待」だし、その人の子供への「幼児虐待」だよねw それは森友学園での園児虐待と本質的に変わらないでしょw)