冨田恭彦『カント入門講義』

さて。もしも私がAIだったら、としよう。なぜ「私」は外界を認識できるのか。つまり、AIが日常的に行うなんらかの「活動」を可能にしている、外界の「観測」のことを言っているのだが。
言うまでもない。そのように、AIが「作られている」から、と言うだろう。
ところが、デカルト以降の近代哲学はそのように説明しない。例えば、我思うゆえに我ありにしても、あらゆることを疑った後に、なぜか「私」というものは疑えない、となる。つまり、こうやって思考している私のこの「思考」の存在は現にそうあるのだから、と。
これを哲学では、心身二元論と言ってきた。
つまり、「心」ということ疑いのなさ、だけは否定されなかったのだ。
そして、この「伝統」はデカルトからロック、ヒューム、カントまで続く。

例えば、コップの水に浸したストローは、曲がって見えますけれども、本当は曲がっていないと考えますよね。このような「錯覚」の事例は、蜃気楼や逃げ水など、日常たくさんあって、「私たちが知覚しているものがそのまま物のあり方を示しているとは考えずらい」とする理由の一つとなっています。

しかし、どうしてそういうことになるのであろう? 上記のAIの例でもわかるように、外界の「観測」はたんに、その時の自らという「マシーン」が、

  • そのようにできている

からそう「観測」したに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないはずなのだが。ある産まれたばかりの赤ん坊は確かにそれ以降、大人になるまでどんどん「変わって」いくかもしれないが、少なくとも、その時の「外界観測マシーン」は、その能力に応じて働いて、なんらかの、外界との「相互作用」を行い、その

  • 事後の結果

として、なんらかの「心象」のようなものが残っていく。つまり、その「心象」がなぜ、そのように残りえたのかを説明するのに、その時の赤ん坊の「外界観測マシーン」の能力がそう結果した、という以上のなんの説明が必要なのかが分からない。
例えばロックにおいては、カントの言う「物自体」は、古代ギリシアにおける「原子論」のようなものとして解釈され、上記の引用にあるような、「見えているものとは違う」この世界の

  • モデル

といったものとして解釈されていた。それは、近代物理学における「原子論」にも通じているわけであり、少なくとも、なんらかの「経験的物理現象」と対応したものであることは自明であった。
しかし、もしもカントがこのロックの「態度」に対して、違和感を覚えたとするなら、そう理解不可能なことではないんじゃないか、とは思うわけである。今でも、観測装置がより「発展」すればするほど、ニュートリノなど「原子より小さい原子」というような語義矛盾を思わせるようなものをより「根底」に置く、物理理論が発明される。
つまり、この「発見」運動は未来永劫続くのだ。これがどこかで止まることはない。だとするなら、その

をカントが「物自体」と呼んだとしても、そう不思議ではないように思われる。
しかし、だどするなら、ここで言うカントの「観念論」は一種の「単純化」であり、「モデル化」にすぎないのではないか、といった見方は十分にありうるように思われる。

ところが、ヒュームは、「近接」と「継起」という関係だけではまだ因果関係にはならなず、原因となるものと結果となるものとの間には「必然的結合」(necessary connexion)がなければならないと考えます。両者が必然的に結びついているということが、原因と結果にはあるはずだと考えるのです。しかし、ヒュームによれば、その「必然的結合」という関係は、感覚されるこの世界の中になんらかの感覚として与えられるものではありません。そのことを、彼は次のように述べています。

私は、この必然的結合の本性を発見し、必然的結合の観念の起源となる一つもしくは複数の印象を見出すため、ここでもう一度対象をあらゆる面において調べる。自分の目を対象の既知の諸性質に向けると、原因と結果の関係はそれらには依存しないことがすぐにわかる。[そこで]それらの諸性質の関係を考察すると、近接と継起の関係しか見出すことができない。しかし、先に述べたように、それらは不完全で、満足のいくものではない。(『人間本性論』第一巻第三部第二節)

このように、ヒュームは因果性の観念を構成する三つの観念、「近接」、「継起」、必然的結合」のうち、「季節」と「継起」は原因と結果の関係の要素をなすものとして確認することができるが、「必然的結合」の観念の基となるべき「印象」(この場合は感覚を意味します)は経験には見出せないと言うのです。
そこでヒュームはどうしたかと言うと、「必然的結合」を「習慣」(custom)によるものとします。つまり、これまでの経験の中でいつもあることが起きると別のあることが起きるという「恒常的接続」(constant conjunction)を経験すると、二つのものを常にそのように結びつけることが「習慣」(custom)となり、この習慣によって両者が常に結びつけられることになると結論づけるのです。

これは有名なヒュームの「慣習」論であるが、まあ、カンタン・メイヤスーが『有限性の後で』で示唆した、

  • 非理由律

のことを言っていると考えることもできるであろう。しかし、もしもここで言う「原因」を「慣習」としてしまうなら、なんらかの意味での「厳密な学」といったものは放棄しなければならない、ということを意味するのでしょうか?
カントは明らかに、なんらかの意味での、

  • 無限遠点へ<収束>させた後のモデル

のようなものを考えているのではないか? それは、確かに非常に奇妙な形で主張をされていることは確かではあるけれども、しかし、むしろ聞きたいのは、これ以外での、どういった「観念化」が考えられるのか、ということなのだろうと思うわけである。

けれど、人間にはなんらかの基本的な考え方の枠組みのようなものがあるという彼の説は、そのことを明確に述べた分だけ、あとの哲学者がそれを歴史化しようとするとき、その作業の跳躍台となりえたのです。そういう意味で、彼の考えは、のちのちの思想の転回に大きく貢献したと私は思います。

カントが行った、ある「基本的な考え方の枠組み」のようなものを提示していく「形而上学」は、それ以降、ハイデッガーを始めとして、自明の学問的な方法論となりました。その一つに、トマス・クーンの科学論を考えることもできるでしょう。
しかし、そうした場合に、問題はこういった

  • (カント流のモデルの単純化による)観念化

が多くの場合に、「うまくいっている」ということなのではないか、と思われるわけである。それは、カントが「正しかった」とかそういうことではなくて、それ「も」、一種の科学的な

  • モデル

の方法論だった、ということなのではないだろうか。いずれにしろ、この現実の「経験」にそぐわない場合は、そういった「モデル」は破棄されていくのだから、あまり心配することでもない、と考えられる、ということだと思うわけだが...。