辻田真佐憲『文部省の研究』

結局、日本の問題というのは日本の「教育」問題だということになる。どういう意味かというと、戦前の皇国史観ということになるわけだが、具体的には「国体の本義」「臣民への道」なわけである。
この「国体の本義」「臣民への道」はいわば「マルクス主義」との対決が主題であった。マルクス主義が間違っているのであれば、なにが正しいのかを示さなければならない。それを目的として書かれたのが、この文書であった。

国家総動員では、個々の兵士の活躍はさほど重要ではない。むしろ、『国体の本義』で説かれたように「没我一如」となって、徹底的に集団の一部として戦うことが求められる。

教師用の手引書には、「その一人一人について説話をすることを根本のねらいとしたものではなく、むしろ協力一致以て精華をあらしめた点を強調せんがためである」とある。

戦争の末期になると、軍隊の士官が学校の教育内容に干渉するようになる。彼らが求めているのは、自分の「命令」に盲目的に猪突猛進してくれる「勇敢」な戦士である。しかも、この時代の戦士は「総力戦」の戦士であった。つまり、共同行動がなによりも重要であった。ようするに、こういった「人材」を「開発」することが求められていた。
さて。なぜ日本人は、戦争で戦わなければならないのか。なぜ、戦争で命を失わなければならないのか。それは、「国体の本義」「臣民への道」に書いてある。
つまりは、日本人は「天皇のため」に「存在」しているから、ということになる。日本人がこの日本列島に産まれたのは、天皇に命を捧げるためであった。天皇が、「お前は私のために、命を捨てろ」と言われたら、

  • 進んで

捨てるのが、日本人の「本性」であると、「国体の本義」「臣民への道」は言う。これは、正しいとか間違っているとか、そういうレベルで議論してはならない。大事なポイントは、そうやって命を捨てた人を「顕彰」することさえ、

  • 間違っている

ということなのだ。なぜなら、絶対的に徹底的に、この世界の「主体」は天皇しかいない、ということなのだから。私たち日本人がこの日本列島に産まれたのは、ただただ、

  • いつか

天皇が「お前は私のために、命を捨てろ」と命令されたときに、命の捧げるために産まれてきたのだから。そもそも、私たち日本人はそれ以外のことを考えてはならないのだ。常に、どうやって天皇のために、命を捧げるか

  • だけ

を産まれてから死ぬまで考え続けるのが、日本人の「本質」だと言うのだから。それが、「国体の本義」「臣民への道」の「哲学」なのだから。
早い話が、日本人は「天皇」以外のことを考えてはならない。朝から晩まで、死ぬまで、一秒たちとも、天皇以外のことに心を奪われてはならない。天皇以外の「目的」を生きては「ならない」のだ。

これに対し、日本では、個々はあくまでも全体のなかの部分として存在する。そのため、本当の和である「大和」が成り立つ。

例えば、今の「共謀罪」にしても、一人一人の「人権」なんてものは、日本人にはないのだから、「共謀罪」でつかまるということは、天皇の「危機」に、各日本人が自らの命を国家によって、勝手に殺されることになるのも

なのだから、日本人は進んで命を捧げなければならない、というわけである。
日本人は「幸せ」になってはならない。日本人が「幸せ」だと思って「いい」のは、ただただ、天皇が幸せに「なった」ときだけで、それ以外の「理由」で感情を動かしてはならない。
まさに、働き蟻が、なんの「ためらい」もなく、女王蟻のために命を捧げるように、日本人は天皇に命を捧げなければならない。このことは、「俺はその考えは違うと思う」という日本人が現れたら、そいつは

  • 本来の日本人の遺伝子にならず、間違った遺伝子になってしまった

と判断されて、不純な日本人民族の遺伝子ではないと判断されて、彼らを生き延びさせたら、日本人の血が汚れるということで、彼らを社会的に「抹殺」することが、

  • 公認

される、というわけであるw
ところが、である。
例えば、江戸時代の武士の「ハラキリ」を考えてみよう。なぜ彼らが切腹をしたのかといえば、そうすれば、「お家」の名誉が保たれて、「お家」の

  • 存続

が期待されたから、ということになる。こう言うと、どこか「家」という「血」の繋がりに、個人が「家」という「集団」に埋没して生きる存在のように受けとられるかもしれないが、この場合は彼らは「家」の「幸せ」を考えている。そういう意味では、なんらかの「自分の幸せ」というか、「家族」の幸せや、家の存続に対しての「誇らしさ」のようなものをもっているわけで、まあ、ここは儒教なわけで、家を「国家に匹敵する」くらいに重要な倫理的単位だと思っている。そういう意味では、天皇の下に自らの自我を捨てろ、というような「集団主義」とは違っている。
上記でもふれたように、そもそもこういった「日本人」像が必要とされたのは、総動員体制という、非常に限られた時代背景に関係していた。例えば、明治始めの日本の教育制度の創始者は、あの日本の民法制度の出発点を明確な哲学で設計した「江藤新平」であった。

ひとは、身分・性別・都鄙の区別なく、学問に励み、一人前にならなければならない。原文を引けば、「自今以後一般の人民(華士族農工商及婦女子)、必ず邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」。これが「学制前文」の精神であった。
ここには、「国家に奉仕せよ」という命令もなければ、「親孝行せよ」という説教くさい文言もない。むしろ、個人の完成を何よりも重視しており、きわめて個人主義的かつ実学主義的な色合いが強かった。当時の文部省らしい、西洋風の啓蒙主義的な教育観である。
もっとも、文部省が単に個人主義謳歌したわけではない。あくまで目標は、国家の独立維持だった。ただ、国家の独立維持のためには、自力で一人前になり、社会の発展に貢献する、独立独歩の個人をまず養成しなければならない。そう考えられたのである。

まあ、分かりやすい話であろう。日本は、明治において、欧米列強の「知識」をまったくもっていなかった。彼らのテクノロジーがまったく理解できなかった。必然的に日本は、欧米に学んだ。そんなときに、

  • 俺は西洋を学んでないぜ(ドヤッ

とか言っている連中が、なんの意味があるだろうか。ところが、少し時間が経って、それなりに西洋の文物の翻訳が普及してくると、

  • 俺は西洋を超えた

とかいう連中が、わいてきて、「もう西洋に学ぶことはない」とか言い始めて、

  • 西洋のことを考えること自体が、天皇に対する「不敬」である

とか言い始める。まあ、天皇以外のことに頭を使っていること自体が、死刑に匹敵すると言っているんだから、もはや、日本国民は全員「死刑」にしなければ、あまりにもの、天皇への「不敬」が大きすぎて、正気を保っていられない。ようするに、天皇以外の全ての人間は

  • 不敬

なのだから、天皇を除いた全ての人間は、滅びなければならない、というわけである...。