自殺したA級戦犯

明治以降の日本において、だれがどう見ても明らかにおかしいのが「満州事変」であろう。これが実際に、日本の中枢が起こした事件だったのかは、今となっては分からないが、問題はそんなところにあるのではなくて、それ以降の

  • 戦略

を完全に描いていなかった、ということなわけである。日中戦争はそれ以降続くが、この「戦い」は一体、何を目的としたものだったのか、だれも言えない。なぜなら、だれがなんの目的で起こしたのかさえ分からない

が、その「出発」なのだから。そもそも、こんなものに何かの「理由」を探すこと自体が不可能なのだ。
しかし、たとえそうであったとしても、それ以降も「国家」は続く。
日本は満州事変以降も存在したわけで、もちろん、そこでの日本の教育政策も存在した。存在したのだから、その教育政策は言うまでもなく、「満州事変」と

  • 矛盾のない

政策でなければならない。しかし、それって?
おそらくそれが、「国体の本義」「臣民への道」だったのであろう。戦争はなぜ行うのか? そしてなぜ、国家は戦争に負けるのか? それは、その戦争を行う「目的」が、最初から、一種の「自殺」としての「理屈」になっているからではないのか? 自らが戦争を行う、つまり、侵略を行うということは、自らを

  • 滅ぼしてくれ

と相手に「依頼」に行くという側面があるのではないか? もちろん、局地的には戦争は「勝利」する場合もある。しかし、そういった一瞬の「カタルシス」は本当の戦争の目的ではない。どんなに局地的に「勝利」の美酒を浴びても、結局は戦争は

  • 滅ぼすか、滅ぼされるか

の二つしかない。日本は、中国に侵略を行なって、その中国は、アメリカを含めた「連合国」として、日本とナチスとイタリアとの世界戦争に勝った。というか、こういう結果は、むしろ普通の常識を考えるなら、こうならないと思うことの方が難しかったんじゃないのか、と思わなくもない。
戦争は結果責任である。自分が侵略をしたのなら、自分が滅ぼされることに文句は言えないのではないか? 日本は負けるべくして負けた。じゃあ、その「責任」は?

なお、教学錬成所長の橋田は九月十二日A級戦犯に指定され、その二日後服毒自殺した。

このWW2は、明確な意味での世界戦争であった。そういう意味で、だれがその「戦争責任」を負っているのかが明確にされねばならなかった。A級戦犯とは、そういった「責任者」を裁くための、特殊な裁判であった。しかし、日本がポツダム宣言で敗戦を受諾したとき、どれだけの日本のエスタブリッシュメントは自分がその「責任」を追及される、と思っていたのだろうか。いや、こうやって

  • 裁判

という形で行われることを。裁判になれば、

  • あらゆる

細かい細部について、「なぜ」そうしたのかを問われるし、それに答えなければならなくなる。しかし、彼らはそもそもそう質問されたら「答える」なにかをもっていたのだろうか? そんなものを最初から用意なんてしていなかったのではないか? まさに「没我一如」である。

  • 自分を捨てる

というのだから、一切の「判断」を行ってないのだ。なぜ、そうしたから? その責任のあらゆる「中心」にいたはずの人間たちが、ことごとく、「判断」していないと思っているとしたら?
日本を滅ぼしたのは、日本の教育の「中心」にいた人間であろう。彼らが、全国の学校をある意図によって「変えた」から、日本は滅んだ。滅んだ、という言い方は間違っているだろうか? それは、連合国が日本を滅ぼさなかった、ということを意味しているにすぎない。なぜなら、日本は

  • 無条件降伏

をしたのだから。無条件とは、そういう意味なのだから、実際は日本は滅んだのだ。じゃあ、この日本を滅ぼすようなことをやった連中は、どう自分を「説明」するのか?
おそらく彼らは「没我一如」なのだ。最初から最後まで。そんな連中が何かを人に聞かれて答えられるわけがない。つまり、そもそもの最初から、自分の「言葉」をもっていた連中は、日本の敗戦と共に

  • 自殺

をした。なぜ、日本の敗戦で自殺をするA級戦犯と、自殺をしないA級戦犯の二つに分かれたのか? 彼ら自殺をするA級戦犯は、おそらく、この戦争についてのなんらかの「持論」をもっていたのであろう。しかし、その持論を裁判の場で公にすることを潔しとしなかった。なぜなら、「没我一如」だから。
私たち日本人は、「臣民」だったという「建前」であった。つまり、日本国家の中で、「意志」をもっていいのは、唯一、天皇のみなのだ。つまり、天皇以外は「考えて」はならない。考えるのは、唯一、天皇だけで私たち日本国民は、まるで、女王蟻の「手足」のように使われる、働き蟻のように

  • 命令系統

は、唯一の天皇にだけある、という前提だったのだ。しかし、ここにパラドックスがある。ある日本軍の行動が「天皇の命令」なのかそうでないのかを、どうやって「外部の人」は見分けられるだろう? それが満州事変である。一体、だれの「深謀遠慮」でこうなったのか。だれにも分からない。しかし、そこに

  • 意志

があるかのように、まるで「すべて」が天皇が命令しているかのように「振る舞う」。つまりは、それが日本という国を支配していた「ゲーム」のルールだったのだ...。