観光の経済学

共謀罪という平成の治安維持法強行採決するために、皇室を利用か。ここまでの安倍政権の露骨な皇室の政治利用を保守派は許していいのか? 普段は皇室の尊厳の重要さを語りながら、安倍政権のこういった露骨な皇室の「道具」化に文句を言わないって、どっちが君側の奸なのかね。)
それにしても、今の段階で今回の東浩紀先生の「観光客の哲学」を絶賛しているのが、橋爪大三郎大澤真幸宮台真司という、消費税35%トリオというのは、この本の内容をよく象徴しているんでしょうね。
実際、私たちが海外旅行をするのには、リフレ政策は都合が悪い。なぜなら、それは、円安政策だから、割高感を感じてしまうから。
海外旅行をするには、例えば、言葉の問題を一つとっても、そう簡単ではない。その場合、ツアーという形式で、ガイドを雇って集団で行く場合と、少人数でガイドなしで行う場合があるが、後者の場合は、どうしても言語の問題につきあたらざるをえない。つまり、英語の能力が求められるわけで、必然的にここで考えているのは「高学歴」の

  • 意識高い系

ということになる。つまり、海外旅行を行うことには、たんなる「苦行」ではなく、哲学的な意味がある。海外旅行を行っている人は、世界的な文脈で、それだけで「世界平和」に貢献している。海外旅行を行っている人は、その行為そのものが「世界」の人たちを、先導し、導いてくれている「選ばれた人類」としての資格がある、といったような

な感じの本だということなのだろう。
そう考えてみると、なぜこの本は「観光」ではなく「観光客」なんだろうね。というか、なぜ「観光の経済学」ではないんだろうね。
どういう条件がそろえば、観光は成立するのだろうか? おそらく、海外旅行が

  • それほどのお金をかけることなく(自国通貨高)
  • それほどの時間と手間をかけることなく(飛行機などの移動手段の簡便化)
  • それほどの人的投資(言語学習や旅行先の情報の学習)をすることなく

行えるなら、多くの人が自然に海外旅行を楽しむようになるのかもしれない。レヴィ=ストロースが言った「旅が嫌いだ」というのは、旅行に投資した「苦労」に比べて、得るものが少ないことが問題とされた。だとするなら、旅行を「楽しむ」条件とはなんだろう?
もちろん、逆の話もある。海外旅行を受け入れる国内産業の問題だ。もしも、海外からの旅行者を一定の割合で毎年見込めるのであれば、彼らは必然的に日本国内で消費をするのだから、一定の「産業」化が見込める、ということになるであろう。特に、近年のリフレ政策から、日本への旅行には「割安感」をもっているかもしれない。例えば、中国や韓国といった周辺の人たちは将来的な日本への「移住」を想定した「下見」的な感覚で一度は、日本という国を見てみたい、といった感覚もあるかもしれない。
もっと下世話な話としては、日本国内の「オタク」たちが行う「聖地巡礼」のような感覚で、日本に旅行に来る海外の「オタク」もいるのだろうか。
今、安倍首相は憲法9条の「加憲」とのバーターとして、教育の「無料」化を憲法に加える案を、日本会議向けにw主張した。
こういった行動のおかしさは言えるとしても、こういった教育の無償化の流れは、明らかに日本の大学進学率の拡大、

の本当の意味での到来を意味するであろう。しかし、宮台先生や東先生はずっと「大学のエリート化」を主張してきたのであって、今でさえ、大学は多すぎる、もっと大学を少なくすべき、大学教育は東大に入った数えるくらいの「エリート」だけに行えばいい、という主張だったわけで、どうも世の中は彼らの意図通りには進んでいないようであるw
(おそらく、上記の動きには、大阪維新の会による、公立の保育園や小学校の「廃校」と、私立のさまざま「利権」と関係した「私立」の保育園や小学校の設立と関連して、進んでいる動きなのであろうが、いずれにしろ、私は大学全入時代に「賛成」だ。これこそ、国民の「人的資本」のフェアネスを実現する最も重要な政策なのであって、だからこそ、有象無象の連中が変な理屈をもって集まってくる...。)
そして、こういった動きに合わせて、必然的に海外からの多くの「留学生」の受け入れに繋がっていくであろう。特に考えられるのが、日本の周辺国、中国や韓国からの「留学生」だ。
そして、彼らは多くの場合、将来の「労働環境」として日本を選択していくことが考えられる。
このことを、どう考えたらいいだろうか?
彼らは学生である。つまりは、彼らが日本に滞在することは、ある「目的」に関係したものなのであり、その目的を果たしたら日本を離れるという意味では、そもそも彼らと

  • 観光客

を区別する境界線はない。しかし、そう考えてみると、なぜ東先生の本には留学生を「観光客」として解釈する記述がないのか? まあ、彼が大学廃止論者(=少数精鋭の大学のエリート化)だから、ということになるのかもしれないが、橋爪、大澤、宮台、東が

  • 緊縮財政主義

であることは、宮台が関わった「ゆとり教育」政策が、基本的に

  • 一部のエリート
  • その他大勢の(宮台言わく)「衆愚」への「ゆとり=少ない教育投資」

の国民の二極分解を目指していたことからも、彼らの「恐しい」「意図」が分かるというものであろう...。