安倍首相vs北朝鮮

おそらく、安倍首相は東条英機に似ている。今回の平成の治安維持法である共謀罪衆議院通過はその法案の内容についてもさりながら、その国会での審議がまったく成立していない。まったく、滅茶苦茶であるのにも関わらず、法律だけは成立していく。政権中枢と、戦前でいう国家中枢の「命令」に従順に従う

  • ヤクザ

と変わらない「鉄砲玉」の右翼関係者の強引な「暴力」で法律だけを、ただただ「成立」させていく。
そもそも、現政権は戦前を「問題」だと思っていない。それに対応して、官僚はあらゆる「戦前」の亡霊の復活をたくらんでいる。戦前の「国家主義」は圧倒的な官僚の

  • 権力

を実現していた。カール・シュミットの友敵理論の最も重要な主題は「独裁」の問題であった。独裁者が「全て」の憲法や法律といった「文書統治」を

  • 超えて

自らの「意志=一般意志」で、すべてを「決定=決断」することの「純粋さ=透明さ」が最大限に誉れあるものとされた。つまり、独裁国家においては、法律は「無意味」なのだ。ただ、安倍首相が「やりたい」と思うかどうかだけしか区別がない。安倍首相が気に入らなければ、失脚するし、そうでなければ昇進する。気に入らなければ、牢屋に入るし、そうでなければ、おめどおりを許される。
こういった状況に、いつもの東浩紀先生も今さらの「言い訳」のように懸念を表明しているようだが、その口ぶりはすこぶる他人事だw

ところで今度は左翼っぽいこと呟くけど、ぼくは共謀罪はけっこう問題あると思うんだよね。そして反対運動ももっとあってよかった。森友学園問題で野党は無駄に消耗した感じがするなあ。。。
@hazuma 2017/05/18 21:32

だったら自分がやれよと思うんだけど、おそらく彼は自分はそういう「キャラ=(安冨先生いわく「立場」)」じゃないから、自分は「やらない」と言っているんだよね。それで「左翼はもっとガンバレ」って。自分は右寄りの「キャラ」だから、そんなダサいことはしないけど、みたいな。
そういえば、「キャラ」って東浩紀生の哲学用語でしたね。でも、実質的にその意味は完全に安冨先生が分析した

  • 東大話法=立場主義

のことを言っていたんだということがこれでよくわかりますね。
結局、批評とかいう、こういった「言葉遊び」を死ぬまでやっているうちに、日本はファシズム国家になっているわけだけど、私はつい最近、安倍首相が急に「北朝鮮サリン爆弾を日本目掛けて撃ってくる」と言っていたことが非常に典型的に今の状況を現しているのだと思っている。ようするに、右側は安倍総理

  • 北朝鮮の独裁者並みの「権力」を与えなければ、北朝鮮との「戦争」に負ける

と考えてるんだろうね。もっと強力な権力を安倍首相に集中させなければならない、と。北朝鮮は、今すぐにでも、日本目掛けて核ミサイルを撃ってこようかという状況なんだ、と。こんな状況で、戦前並みの総動員体制でなくて、どうやって戦える、と。治安維持法を復活させて、国内の北朝鮮分子である左翼を抹殺しなければ、北朝鮮との戦争に勝てるわけがない、と。
そういえば、その東浩紀先生も大絶賛だったアニメ「君の名は。」だけど、監督自身が以下のように言っていたんだね。

川村 確か最初のプロットでは三葉に彼氏がいたんですよね。
新海 そうでした。入れ替わりを繰り返す過程で関係性が変化していくということが描きたかったから、最初に片思いしている相手を設定したほうがいいと思ったんです。それを最初は三葉側に設定していた。そうしたら川村さんが「ヒロインに最初から男がいたら萎えるよね」って(笑)。それで役割を瀧のほうにスイッチさせて、奥寺先輩が生まれました。
川村 三葉は巫女として「口噛み酒」を作るようなヒロインだから、聖母マリア的な存在として描いたほうがいいと思ったんです。それは聖書の時代からある方法で、宮崎駿監督もそうでした。ナウシカもシータも他の男はいませんよね、
新海誠川村元気「東京から恋愛が消えた?」)

というか、普通にこの作品を見たらまず最初にこの問題に気付くよね。どう考えても、三葉が「おかしい」。まったく、なんの性格も与えられていない。彼女だけ、なにを考えているのか分からない。

  • 真っ白な存在

なんだよね。そう考えると、おそらく新海さん自身にはなんらかの一貫性というか作家としての、ある種のセンスはあるんだと思うんだけど、こうやって回りに彼のアイデアは「改竄」されていく。そして、まったく別の「エンターテイメント」として消費される、ということなんだと思う。
なぜこのアニメがさまざまな映画祭で作品賞をとれなかったのかは、そもそもこの「引用」個所が全てを意味していたんだと思う。つまり、作者自身がこういった「妥協の産物」であることを吐露しているものに、いくら商業的に成功したからといって、作品賞を与えていいのかの葛藤が審査員にあった、ということでしょう。
ようするに、この作品は

  • 男狙い:田舎の(巫女家系という)「処女」性を意識させる設定に(都会の男を)<興奮>させる
  • 女狙い:都会のちょっと将来性を期待させる男の子の設定に(田舎の女を)<興奮>させる

っていう分かりやすい構造なわけでしょう。そして、それ以外は作品をもりあげる「飾り」なんだよね。
今さら言うまでもないけど、戦前の日本だって、終戦の何年か前までは、今と比べてもそう変わらないくらいに「リベラル」だったわけでしょう。大正デモクラシーとかいって。それが、一瞬でファシズムになった。まさに、

だよね。じゃあ、なんでそんなふうに変わっちゃったんだろうね。というか、なんで今、そう変わっているんだろうねw
そりゃあ、東浩紀先生にしても、新海監督にしても、上記のような「ニセモノ」をやってるからなんじゃないですかねw ほんと、

は害悪しかないと思うんですけど、悟りすましたインテリには、彼らの自意識をホルホルさせる御効能があるんですかね...。