事大主義についての考察

事大主義は今の日本ではあまり使わない言葉だが「小が大に事(つか)える」という、もともとは孟子の言葉なのだという。ようするに、偉い人の言うがままに振る舞う、というわけで、まあ、今の日本では日常的な風景だ、ということになるだろう。
今の自民党はまるで、安倍総理

  • 命令

を実現するために存在するかのような、驚くべき集団になっている。安倍首相が「ああしろ」と言ったら、それを実現して、「こうしろ」と言ったら、それを実現する、まさに「命令」に反応するロボットだ。
安倍首相が2020年の東京オリンピックまで総理を続けたいと言ったら、自民党の規約を変えるし、自分が憲法改正の最初の総理大臣になりたいと言ったら、そのためならなんだって総理のために尽す、「丁稚奉公」のような自民党、維新の会の議員ばかりになってしまった。
結局、以前の中選挙区のような、各立候補者に比較的独立性のあった選挙制度のときは、党と独立にその地域から推薦された代表という意識があったのだろうが、小選挙区制になって、候補者が党に一切のお金や権限を握られる体制に変わったことで、完全に議員の生殺与奪を党に握られるようになった。まず、その戦局から立候補をしたくても、安倍首相に気に入られないと、立候補できない。ようするに、地元の選挙民の言うことなんてまったく聞いていない。常に安倍首相の方を向いていて、彼の意向に逆らっていなければ、選挙で当選できる、というわけであるw
恐しいのが、平成の治安維持法である、共謀罪は安倍首相に逆らったら牢屋に入れられるという法律であって、なぜ自民党の議員は自分がいずれ安倍首相と袂を分かれて、政治活動を行うことになるかもしれない、ということが想像できないのか、不思議なわけで、これこそ典型的な事大主義というわけであろう。
そんな中、少し興味深い事態が起きた。共謀罪の法案の委員会採決にタイミングを合わせて、眞子様の婚約者の発表がマスコミでなされた。というか、一体なにも決まっていない段階でありながら、なんでこのタミングって、共謀罪の国民からの反発を相殺するために、皇室が利用されたのだ。
つまり、明確に安倍総理は、天皇の政治利用をためらわない内閣になった、というわけなのだ。最近でも、天皇自身による、生前退位有識者会議の議論にコメントをする場面があったが、おそらく、今後もこういった場面が増えていくであろう。そもそも、生前退位は、天皇家の「家庭内」のことであるはずで、つまり、天皇家が勝手に「自分たちはこうします」と決めればいいことのはずだ。それに、いわゆる

という国家主義者が、天皇家が家として決めたことに文句を言っているということになるわけで、まさに、安倍首相が天皇は自分の「奴隷」でいいんだ、と言っているのと変わらないわけであろう。
そして、国民は実際の天皇の「意志」がなんだろうと、安倍首相に対する「事大主義」で、なんであれ、安倍首相の言うことに従おうとするというわけで、ますます、安倍首相は東条英機に似てきたな...。