ダークツーリズムについての想像力

東浩紀先生が福島第一原発観光地化計画を主張したとき、以下のような「奇妙」なことを言っている。

原発事故について正確な知識をもち、偏見もないひとばかりが被災地を訪れたとしても、状況はなにも改善されません。怖いもの見たさで来たはずの「軽薄」な観光客、とりわけ外国からの観光客が、数時間の滞在のあとで真剣な表情になり、原発やっぱりたいへんなんだな、でも福島はがんばってるなと呟きながら帰っていく、そのような小さな変化の積み重ねこそが、「フクシマ」のイメージを変え、被災地の復興に繋がるのではないでしょうか。ぼくたちは観光客の軽薄さを否定するべきではありません。彼らこそが啓蒙と共感を拡げるチャンスなのです。

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

ここでは、二つのことが言われている。

  • 観光客が「軽薄」であることを認めなければならない
  • 観光客には観光先での「体験」によって、いわば「偶然」の「良い」方向への変化がもたらされることを期待できる

しかし、こういった「条件」は果して、自明なのでしょうか? というのは、ここで言っている「ダークツーリズム」の定義が曖昧だから、なのです。
上記の二つの命題において、私が問題にしているのは、前者です。つまり「軽薄」な観光客とは一体なんなのか、が少しも自明に思えないからです。そもそも、こういった「仮定」は必要なのでしょうか?
例えば、次のような例について考えてみましょう。

ある韓国メディアは、その理由をこう報じていた。
「50代中年男性が中心となっている東南アジアのゴルフ旅行は、すでに"海外遠征買春ツアー"と同じような扱いを受けている。そのなかでもフィリピンは韓国の中年男性たちに圧倒的な人気を誇る」
最近では中年ばかりでなく若者も多いようで、2015年8月にはフィリピン人女性を買春したという韓国人男性207人が検挙される衝撃の事態も起こっている。
(参考記事:買春目的でフィリピンに訪れた韓国人男性207人が検挙の衝撃!!
混血児"コピーノ"の問題も注目されており、もしこういった実状がフィリピンで起こっている悲劇の遠因だとしたら、韓国側にも自らの素行を省みなければならない部分もあるのではないだろうか。
フィリピンで続出する韓国人殺人事件…その背景に潜む韓国の“不都合な真実”(慎武宏) - 個人 - Yahoo!ニュース

さて。旅行とはなんだろう? ここでは、近年、韓国人観光客がフィリピンで「殺される」ケースが増えていることの遠因として、フィリピンでの「売春ツアー」の実体が示唆されていて、おそらく、かなりの「親なし子」が現地で残されているのではないのか、といった示唆をしている。
つまり、「ダークツーリズム」とは

  • こういうこと

を言うわけであり、「軽薄」さとは、こういうことを言うわけである。なにが「ダーク」なのか。本気で「ダーク」であることを「肯定」するとは、何を意味するのか。私がいらだつのは、明らかに、東浩紀先生の発想の変遷には、最初に「軽薄さ」を目指して、その後に、とってつけたような「理由」として、観光客の観光先での「体験」による「啓蒙」の可能性が主張されている。彼は最初に、そういった

  • 道徳の転倒

を行うことの、哲学的な「ラディカリズム」を主張することの「恍惚」にこそ「価値」を見出したのであって、むしろ、そのことについて、なにも知らない素人を「だまくらかせる」ことさえ実現できれば、あとはどうでもよかったわけであろう。
むしろ問題にされなければならないのは、この観光を「企画」する側の「真摯」さであり、「倫理」であるはずであるのに、そのことは不思議なレトリックによって、後景に退いている。だとするなら、そこは

  • 儲けんかな主義

に退行するしかなく、お金さえ儲かれば、なにをやってもいいにきまっている(それが自由主義)といったような、ドヤ顔が目に浮ぶわけであり、バニラエアが「健康人」の安い料金の維持のために、「壊れやすい人間」である車椅子の客を「断り続けていた」という反社会的行為と変わらない商業主義に堕落する、というわけである...。