小池百合子と「イスラム教」

ここ何日かの、政界の動きで、小池百合子民進党を吸収して、自民党と対決姿勢を示し始めたことで、ネット界隈の自民党応援「工作員w」界隈は混乱が起きているようで、さまざまな小池の「問題」なるものが、議論され始めた。
そこで、都知事選挙で、ネット上で、公明正大に、小池百合子に一票を投じたことを偉そうに自慢していた連中が、これは大変と(小池のヤバさが世間に周知されてくると、今までの小池礼賛の自らの言質が、今後の仕事関係にさしさわりがでてくると考えて、急にヒヨりだすというのだから、だったさ最初からなにも言うな、ってわけであろうw)、今頃になって、

  • あの選択は間違っていました。ごめんなさい。

とか言っているわけだけど、この滑稽な姿はなんなのだろう? お前が今、間違えるとするなら、謝った先の選択も誤る。こういった連中がまず行うべきは

  • 筆を折る

ことではないのか? それが世間に責任をとるということなのではないのか。まずは、お前が口を閉ざして、人前に出てくるな。邪魔なんだよ。民進党の鳥越をクソミソにボロクソに罵倒しておいて、なにを今さら言っているんだろう。本当のファシストは、こういった本当の「御用学者」「エア御用学者」によって成立する。
都知事選挙のときから、小池が日本会議のかなり上層部に関係していて、自民党のネット工作員政策に深くコミットメントしていて、そもそもツイッターやいろいろなメディアで、トンデモ「ネトウヨ」発言を繰り返してきた「実績」を、ことごとく無視して、小池都知事を「礼賛」してきた(しかも、実際に小池に一票を投じてきた)過去を、なんで今さらなかったことになどできようかw

小池百合子氏の正体=「社会保障が日本を危なくする」と言い侵略戦争肯定で1ミリの領土のため国民の血流す改憲めざしヘイトスピーチ連発の極右政治家、辺野古基地反対の沖縄を蔑視、夫婦別姓反対、女性は自助の精神養え | editor

というか、そういった連中自体が、小池とほとんど変わらないことを、いろいろな場所で発言し続けてきたし、今だってし続けているではないか。最小福祉主義とか、小池が言っていたことと、まったく変わらない。むしろ、恐しいのは、こういった「自分は小池と反対だ」と言っている連中が、口を開けば、まったく小池と同じことを口走っている、その無自覚なエア御用的な「病気」にあるわけであろう。
小池ファシズムの恐しさは、別に、世間から見えないところで行われているわけではない。
豊洲移転問題も、ようするに彼女が言っているのは築地をなんとかして「さら地」にすることに全勢力を注入しているのであって、それ以外のことはどうでもいい、というわけであろうw それに、漁業関係者がなんとか「抵抗」しているのが今の状況で、そのギリギリの攻防が、もしも今回の小池ファシズムが成功したら、さらに容易になるというわけであろう。
都民ファーストの当選議員は今だに、小池ファシストの「命令」によって、マスコミで公に自分の意見を言えない。ここにあるのは、今回の民進党議員の「選別」と同じロジックであることが分かる。若狭とかいう小池の取り巻きが、自分は昔、プロの検事としてさまざまな「犯罪者」の嘘を見抜いてきたと、とくいげにテレビで自慢していたというが、こんな人の信義もわきまえないサイコパスを便利屋として使っていること自体が、この集団の狂気をよく示しているし、早い話が今の都民ファーストも、こういった「尋問」や「誓約書」で、小池ファシズムに「同意」した「特攻隊」で構成されていることを、今目の前で行われている「小池劇場」がよく示しているわけであろう(そもそも、若狭とかいう奴は、小沢一郎の領収書問題で、当時さんざんデマをばらまいた、人前に出しちゃヤバい奴だというではないかw)。
さて。戦前の日本の「ファシズム」の特徴はなんだろう? 言うまでもない。「宗教」だ。そもそも日本の江戸時代までの天皇制は、素朴な「王制」の変形態でしかなく、そもそも天皇自体が政治の中心ではなかった。それが明治以降に明らかに変わったのは、日蓮主義者たちなどによる天皇を、自らの宗派内の、宗教的な「賢者」として祭り上げていく過程で、天皇を自分たちの宗派の「神」として「崇拝」することを一般国民に強制していく過程で、一種の宗教的「狂気」のエスカレーションが始まったわけである。一切は、天皇への「無礼」行為への「糾弾」の名の下に、まさに中国の紅衛兵たちがそうであったように

  • 愛国有理

というわけで、さまざまな日本中の各地で、国民への「暴力」が正当化された。自分の気に入らない連中を失脚させるために、天皇の名を語り、ヤクザの当たり屋のように、いろいろと難癖をつけて、大声で怒鳴りちらし、日頃の「うっぷん」を晴らす。こういった光景が、日本の日常となった。
そのことは、小池が所属し役員まで務めていた日本会議でも変わらない。というか、小池ファシズムの影響の影にはどこか「イスラム教」の臭いがしている。最近の、マスコミからの質問に、「イッシュ・アッラー(神の思し召し)」と言ったそうだが、エジプトのカイロ大学出身でアラビア語通訳を出自としているわけで、彼女の「超然」とした態度にはどこか、「イスラム国(=IS)」と似た臭いがあるわけである。
そういった視点で見てみると、今の日本の状況はミシェル・ウェルベックの『服従』が描いた小説世界に似ている。おそらく小池は、都民ファースト都議会議員の「方式」で、民進党議員を「選別」し始めるであろう。そして、さまざまな「誓約書」を書かせて、実質的に、合流する民進党議員の公的な場での自由な発言を「禁止」する。小池百合子が自らを「保守」であり「リベラル」ではないと言っていることの意味は、彼女は自由や民主主義を

  • 否定

しているということであり、そのことになんの問題も感じていない、ということであり、それこそが彼女の「本質」だというわけである...。