BABYMETAL「メギツネ」

ここのところ、休みぼけというわけではないが、BABYMETALは電車の中でも目を覚ましてくれるというか、目覚し機能がある。まあ、うるさいということなのだがw

BABYMETALは大手芸能事務所のアミューズが運営するアイドルグループ「さくら学院」から派生したチームだ。「さくら学院」は、小学校高学年と中学生の少女チームで、スクールライフをモチーフにした歌、ダンス、演劇を、教室を舞台仕掛けにして演じさせている。メンバーはリアル中学校を卒業すると自動的に「さくら学院」も卒業となり、それぞれ女優や歌手、あるいは進学して巣立つという独特な仕組みだ。
2010年にアミューズの「さくら学院」担当プロデューサーがメンバーの1人、1997年生まれの中学生、中元すず香に着目し、ヘビーメタルを歌うように仕向けたとされる。同時に彼女より2歳下で、小柄な小学生の菊地最愛水野由結にダンスとスクリーム(合いの手)を担当させる3人のグループを作った。つまり、BABYMETALは「さくら学院」の派生ユニットというわけだ。以来、7年間でスタジオ録音のアルバムを2枚出し、数多くのライブを行なっている。
アミューズの女性3人グループといえば、先行するのはPerfumeである。BABYMETALもPerfumeも同じ人物がダンスを指導している。今や日本を代表するコレオグラファー(振付師)のMIKIKOだ。アミューズの創業者で現会長の大里洋吉渡辺プロダクションの出身で、ナベプロではキャンディーズなどを担当していた。1978年、キャンディーズの解散コンサートではプロデューサーを務めている。女性3人というスタイルは、大里にとってはキャンディーズPerfume、BABYMETALという流れだろう。この間、40年以上経過している。
BABYMETALが欧米の聴衆を日本語の歌詞で魅了できる理由 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン

まあ、ようするに BABYMETAL はアイドルなのだ。それは、上記の引用にもあるように、Perfume と事情は似ているのだろう。なんというか、ある種の

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にとらわれない。つまり、これが「なに」なのかと問うてはならない。これそのものを、人々に「受け入れる」ことを求めている。
そして、まあ、言うまでもないが、BABYMETAL の魅力はヴォーカルの SU-METAL にあると言わざるをえない。

ダンスだけでも一級品だが、やはり特筆すべきはSU-METALのボーカルだろう。もともとヘビーメタルは、汗まみれで刺青まみれのむさくるしい男どもの音楽である。BABYMETALでも、ギターの音域を低いほうへうんと下げた7弦ギターを導入し、重低音を効かせている。
こうしたヘビーで男っぽい音楽に少女の声を乗せるというアイデアが秀逸だったわけだ。もちろん、ヘビーメタルとベビーメタルのシャレも効いている。しかも、SU-METALのハイノート(高音)は女性ロックシンガーのシャウトとは違う。じつに素直な声の出し方で、ほとんどビブラートをかけない。激しいビブラートでハイノートをシャウトする歌い方がロックでは多いが、SU-METALはノン・ビブラートで、小節線ぴったりにインテンポで音を入れてくる唱法である。これが実に心地よい。 彼女の魅力は声量の大きさと音域の広さにもある。ロックは地声でハイノートを出せば出すほど聴衆を興奮させる。これが他のジャンルと違うところだ。
ハイノートの音域の広さならクラシックの声楽家にはかなわない。クラシックのソプラノでは hihiD(D6)までは普通に必要とされる。ただし、クラシックではすべて裏声(頭声)だ。
一般的に言って、多くの女性はhiC(C5、ド)あたりから裏声に変わる(喚声点という)。hiD(D5、レ)を地声で出せる女性歌手はそれほど多くはない。SU-METALは完全な地声(胸声)でhiDを楽に出す。当てるだけでなく、フォルテで伸ばす。これはすごい。圧倒的な存在感を与える。かわいらしいソプラノボイスではなく、胸に突き刺さるフォルテになる。声量に余裕があるので、癇に障る悲鳴ではなく、音を伸ばすだけで表現力豊かな音楽として聴こえる。
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まるで、少年合唱団からそのまま出てきたような、SU-METAL の歌声とヘビメタを結び付けようとしたこと自体で、このプロジェクトはほとんど、半分は成功していたのだろう。
ヘビメタとはなんだろう? ヘビメタはある種の「超越」である。既存の音楽に満足できない、つまり、既存の「日常」に満足できない、なんらかの「超越」を求めざるをえない人々の需要に答える形で、こういった音楽が受け入れられてきた。それはどこか、一般の映画に対する「ホラー映画」の位置付けに似ている。これは、もっと直截に言えば、

  • 普通の「刺激」に満足できない

人々に向けた、なんらかの「特別」なポジションを示唆しているわけである。
しかし、だからこそ、SU-METAL は受け入れられる。まさに、上記の引用にあるように「ロックは地声でハイノートを出せば出すほど聴衆を興奮させる」わけである。
なんというか、これは「芸」なのだ。芸ならば、芸として素直にそれを私たちは受け入れるべきだ。それは、年末の「朝なま」で、芸人のウーマン村本が、「なぜ中国が日本を攻めてくるのか?」と問いを投げかけたのに対して、列席する右よりの「自称専門家w」たちのだれ一人が

  • 答えられなかったw

という醜態がよく示している。なにが専門家だ。ただの、「右よりのことを言うから重宝して、テレビにひっぱり回されている」だけの、

  • ニセ専門家

ではないか。お前らは、右よりのことを言うことがたんに「気持ちいい」だけであって、専門家ではない。それを私たちは「御用学者」と呼ぶのであって、私たちはこういったニセ専門家にだまされてはならない。
というか、である。
私は思うわけである。「芸」でいいではないか、と。「芸」だけが唯一「まとも」なのだ。

あ〜 そうよ いつでも 女は女優よ
キツネじゃない キツネじゃない
乙女な メギツネ

あ〜 ヤマトナデシク 女は変わるの
ずっと いつも 消えない様に
花火を上げるの

現代哲学は、ハイデガー以降、

  • 本音=現実

だけが唯一の「真実」だというイデオロギーに変わった。つまり、全てを「ホンネ」に開き直れば、なんでの許される、と解釈された。つまり、彼らの日常は、ある種の「御用学者=党派性」によって、

  • 本音主義

となったわけであり、たんに醜い「露悪=保守主義」に退行したわけである。
しかし、そうなのだろうか?
私はずっと昔から、そういった、「ホンネ=日常」に対して、なんらかの

  • 芸=ラディカリズム

を大事にしてきたのではないか? 女はキツネじゃない、女は<メギツネ>だ、と言うとき、そこには、女がそれそのものとしてなにかであるという男たちの「オタク的消費欲望」に対抗して、女は

  • 仮面=女優

を被ることによって<何者>かに

  • なる

という、積極的意味が対抗されていたのではないのか。ここで私が言いたいことは、そんなに難しいことじゃない。私は単純にハイデガー的な「本音=現実=哲学者エリート」のトライアングルに対して、「芸」という、「シロート=技術者=専門家」の革命を対置したいだけなのだ...。

BABYMETAL(通常盤)

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