弱者を狙う暴力

今回の京アニの事件について、藤田直哉さんは以下のように言っている。

犯人の動機も明らかになっていない状態であんまり言うべきではないんだけど、あんな平和で和やかなアニメばかり作っていた会社が狙われて焼かれてしまうというその狙い方には、不穏なものを感じるよね。登戸のカリタス学園もそうだったが。
@naoya_fujita 2019/07/17 21:40

本人が意図したかどうかは別として、ある文化的な雰囲気を社会に醸成するエンターテイメントそのものを破壊しようとするテロみたいな効果も確実にあるよなぁ……。今後、京アニのアニメ楽しんでいるときに、今日の事件のことや光景が頭をチラついてしまうものね……。
@naoya_fujita 2019/07/17 21:43

もしこれが文化・芸術、表現に対するテロかもしれない、と想像すると、モノカキの端くれに過ぎないぼくも、正直ゾッとする。
@naoya_fujita 2019/07/17 21:59

今回の事件については、ここ何年かにおいて連続して起きている事件と非常に似通っている印象を受ける。それの一つは、明らかに

  • 弱い

人たちが、「選んで」攻撃されていることだ。相模原の事件も川崎の事件も、それぞれ障害者であり子どもを狙った大量殺人であった。そして、それを行ったのは、別に「強い」と社会が認めるような人間ではない、男性一人による犯行であった。
そして、今回の京アニは、一貫して

  • 弱い

人たちの感情を描いてきた。常にそういう「表象」を伴って、作品は作られていた。それは「優しい」世界ではあるが、ある意味で、アイドルの世界にも似た「非現実性」を感じなくはない。こういった京アニの作品を見ているのは、むしろ

  • オタク

と呼ばれる、社会から孤立した、「弱者」だったわけである。弱い男は、この社会を生きていくリソースも、人間関係もないから、よけいにこの社会からけむたがれて生きているわけだけれども、そもそも京アニで描かれる

  • 作品の中の世界

には、そういったキャラクターは登場しない。彼らの作品を見ているのは、典型的な「おたく」な男たちであるのに、彼らは、そういった作品内では描かれない。それは、彼らが

  • 弱い

からでもあるし、

  • 醜い

からでもある。このアンバランスさが、今回の事件を迎えて余計に強調されるように思われる。
今回の事件を起こした奴も、明らかに京アニ

  • 自分より弱い

と表象して、意図して自分より弱いと思われる、女性社員の多い、こういった会社を狙ったわけであろう。社会的に「疎外」されていると思っている、鬱屈した、社会から「弱い」者として扱われていると思ってそれの理不尽に本人には受けとられている扱いに、弱いがゆえに卑屈に我慢している人間が、自分より弱い存在を探し狙って暴力行為に及ぶ。
彼らは間違っても強者には向かっていかない。それは、子どもの頃からの「いじめ」によって、心底、自らの危機回避行動として身に染みている。そして、その反転として、「自分より弱い」と彼らが考える相手へと、その暴力の方向が向かう。なぜ彼らはそれを「恥ずかしい」と思わないのか? それは、「なぜ<いじめ>を恥ずかしいと思わないのか」と非常に近い感覚として理解されて内在化されている、そういった種類のものに思われる...。