モラトリアムとしての青春

アニメ「バンドリ3期」のテレビ放映が始まっているが、その放送内容は、CD特典として、すでに5話まで公開されている。そういう意味では、今は中途半端な時期ではあるのだが、そう考えて、ここでは今、そこまでとの関連を意識した上で、もう一回、第2期を振り返ってみたいと思っている。
さて。第2期を決定的にしているのはどの話だろうか? おそらくそれは、第3話の朝日六花を香澄たちが蔵に招いたときのストーリーだろう。六花は特別な少女である。そして、六花はこのストーリーにおいて、決定的に重要な少女だ。彼女は、岐阜県という田舎の出身でありながら、第1期の最終話での、伝説のライブハウス「スペース」の最後のライブでの、ポピパのライブを現場で目撃し、かつ他の並いるバンドではなく、他ならぬこの

  • ポピパ

の演奏に「感動」して、高校から地元を飛び出し、上京してきた少女である。彼女はポピパを尊敬し崇拝している。ポピパのどこにそこまで「感動」したのか? そこには、例えば、バンド「Roselia」のリーダー

  • 湊友希那(みなとゆきな)

が、いつも言い淀んでいる(「彼女たちは演奏はそううまくはないけど、...」という形で)、なんらかの大事な属性をもっている、という「評価」なわけであろう。つまりは、

  • 仲がいい

ということである。それが伝わってくること。六花はそのポピパへの「感動」だけを理由にして、田舎から上京してきた少女である。彼女がこのストーリーにとって、重要な存在であることが分かるであろう。
六花はそれ以降、ポピパのメンバーと常に行動を共にする

  • 友達

となるわけだが、第3期の第3話において、バンドがやりたいと思ってメンバーを探していた彼女にバンド参加のチャンスが巡って来る。すると、ポピパのメンバーは、迷っている彼女を後ろから後押しする歌を

  • 新曲

として彼女にプレゼントする。なぜなら、彼女は「友達」だからだ。友達だから、彼女が目指す夢が叶ってほしい、それを後押ししたいと考えるのは彼女たちの

  • 日常

の行動として、自然なことなのだ。
さて。第2期を振り返って、もう一つ重要なファクターは何かといえば、言うまでもなく、ポピパのメンバー、花園たえのポピパ脱退騒動(RASへのサポートメンバー参加)であろう。
しかし、この経緯は(以前もこのブログで書いた記憶があるが)、少し変なのだ。というのは、花園たえの態度や発言を一貫して見ていると、彼女は一度も

  • ポピパを辞めたい

とは言ってないし、そういった態度も示していないのだ。つまり、ポピパの「危機」は一度として訪れていない。そうであるなら、なんであんなに鬱展開をやったんだと思われるかもしれないが、この問題を少し考えてみたい。
私は近年のこういった、日常系アニメ全般を見ていて、一貫してある傾向があるように思われる。
例えば、アニメ「ラブライブ」第1期の最後は、主人公の穂乃果の古くからの親友であり、ミューズのメンバーでもある南ことり(みなみことり)が、イギリスに留学する、という話だった。しかし、最後の最後で、空港で、穂乃果(ほのか)がことりに、側にいてほしいと伝えることで、ことりは留学を

  • 断念

する。
(この少し奇妙な展開は、今公開されている、劇場版「ハイスクール・フリート」でも、反復される。戦艦春風の船長であり主人公の、岬明乃(みさきあけの)は、副船長の、宗谷ましろ(むねたにましろ)が、他の戦艦の船長にスカウトされたことに、微妙な表情を浮べる。ましろの将来を考えれば、彼女が船長になることは喜ぶべきことだが...。ましろは、最後に決断する。将来の夢として、船長を目指すが、

はその時じゃない。今はこの春風で、あけのの下で「一緒」にいることが「大事」なんだ、と。)
この展開は少し考えてみると、驚くべきことのように思われる。ことりはもし留学していれば、その留学先で、貴重な経験ができたであろう。だったら、彼女の留学を私たちは、気持ちよく見送ってあげるべきなんじゃないのか?
しかし、私はこれを見た後、少し考えてみて、考えが変わった。というのは、ことりの留学は、なんらかの職業的なトレーニングと関係したものであった。そうであるなら、

  • なぜ今、やらなければならないのか?

は自明ではないんじゃないのか、と思ったのである。私たちは、簡単に学校ということを考える。しかし、そうやって学校で「一緒」に暮らしているその

  • 青春

はもう、その一瞬が返ってくることはないのだ。これだけは、その子ども時代の絶対に変えられない経験なわけであろう。そうであるなら、少なくとも、

  • 卒業

までは、彼ら、彼女らは、その学舎(まなびや)で「最後」まで、一緒に暮らすことは非常に重要なことなのではないか。
なんらかの「勉強」というけど、知識なら、大人になれば、いくらでも身につけることができる。しかし、

  • 青春

はその一瞬だけなのだ。これは「モラトリアム」だ。私たちはなにも、生き急ぐことはない。なんでも大人になればできるのであって、その「青春」時代にしかできないことを「大事」にすることは、なにものにも変えられない重要なことなのではないのか。
このことは、バンドリ第2期における、RASというバンドの行きさつを考える上でも、重要に思われる。最初、RASのプロデューサーのチュチュは、そもそも、Roselia のリーダーの湊友希那(みなとゆきな)に、自分を Roselia のプロデューサーに迎え入れてくれないかと頼みに行っている。それを断ったから、RASというチュチュプロデュースのバンドの活動が始まっている。RASは完全

  • 実力制

での、スカウトによって運営されている。そういう意味で、ポピパや Roselia のような「お友達バンド」の形態を本質的に否定している。つまり、この作品では、この二つの

  • 価値観

の「対決」が描かれていると考えなければならない。第2期の最後で、今回の経緯を、花園たえが歌にした、ポピパの新曲「Returns」を聞いて、湊友希那(みなとゆきな)は

  • いい曲

と、めずらしく、他のバンドの曲を評価する。しかし、湊友希那(みなとゆきな)がそもそも最初に、チュチュのプロデュースの依頼を受けていたことを考えれば、彼女にしてみれば、自分の気持ちを、花園たえが歌にしてくれた、と考えて共感したとしても不思議ではないわけだ...。

後記:
上記でいろいろと書いたのだが、正直私は断然、Roselia 推しだ。というか、湊友希那(みなとゆきな)推しなのだがw、Roselia はこのアニメでは、一種の

  • 鬼子

として、常にポピパと「対立」的な位置づけの色物として描かれてしまう。この二つのバンドは、一見するとその方向性の違いから、まったく別の「目標」のバンドとして、無関係に考えられがちであるが、上記のような

  • モラトリアムとしての青春

という視点から見たとき、案外非常に似た方向を目指している、と考えることができるのかもしれない(まあ、ラブライブにおける、ミューズに対する、A-RISE(アライズ)に似ているのか...)。