WW2での日本の敗戦と、今回の新型コロナでの日本の「敗戦」が似ている、という話は、いろいろとされている。しかし、このアナロジーは、こと
を通して見たときにも、言えるのではないか、と思えてくる。
WW2において、なんで日本がアメリカと戦争をしているのかは、
- 日本がアメリカに「侵略」戦争をしたから
以上の理由がない。つまり、なんで「降伏」しないのか、を誰も説明できない。ここで、ただただ、ひたすら「全員」が語っていたことが
- 今さら止められない
であるw うん。なんか、聞いたことがないか? そう。今回の、東京オリンピックでも、これが語られた。
しかし、である。
デルタ株の「性質」がより詳しく発見されて、米CDCがそれを発表し始めたのは、東京オリンピックの開催の、かなり直前であったわけだ。しかし、そのタイミングがどうであれ、止めなければならないと分かったら、止めなければならないのだ。というか、これを逆に言えば、
- 日本は「民主主義」なんだから、国民が決定すれば、東京都民が決めれば、いつでも止められる
のだ! お分かりだろう。そもそも日本は民主主義なのだから、「もう止められない」とか言っている連中は、そもそも
- 反民主主義者
なのであって、つまりは、今の日本の憲法を「認めない」と言っているに等しいわけである!
さて。WW2において、「今さら止められない」と言っていた陸軍連中を
- 無視
して、この戦争を止めたのは、当時の昭和天皇である。そのため、終戦間際、昭和天皇は陸軍によって「テロで殺されそうになった」ことが知られている。
そして、今回の東京オリンピックにおいて、そもそも
- 有観客
が、最初は「たくらまれ」ていた。これに反対したのが、今上天皇であった。この反対の表明によって、菅総理は、有観客ができなくなり、無観客に追い込まれた。考えてみてほしい。もしも、天皇が反対をしなかったら、菅総理は、有観客にしていたのだ! なぜなら
- 今さら止められない
からだw こういったことは、今まで、何度も何度も繰り返されてきた。
築地市場の豊洲市場への移転も「今さら止められない」と言われた。
ザハ・ハディドの新国立競技場建設も「今さら止められない」と言われた。
そして、日本の新型コロナ政策が、香港やニュージーランドなどが行っている「ゼロコロナ政策」ではなく、「withコロナ政策」を行っていることも、「今さら止められない」と、今さら「ゼロコロナ政策に変えられるわけがない」と言っている。
ここには、こういったことを言っている連中の
- 醜さ(みにくさ)
が関係している。こういった連中が「今さら止められない」と言っているというということは、こういった連中が
- 民主主義は間違っている
と言っていることと、まったく同じなのだ。「等価」なのだ! 考えてみてほしい。今の憲法、今の法律の体制の日本において、「民主主義は間違っている」と言っている連中は、そもそも
- 今の日本の国家体制に反対している
わけであって、こういった連中の言っていることに耳を傾けることが、いかに、危険であるのかを考える必要がある。
今回の横浜市長選挙で、立憲民主党の候補が当選したことについは、その選挙終盤に、自民党が応援していた小此木候補に対して
- 菅首相が「応援」
するやいなや、一気に、小此木候補の「人気」が無くなった、ことが原因と言われている。つまり、菅首相が応援
- したから
小此木候補は敗北した。つまり、完全な
- 菅首相の「信任投票」
になってしまった! そして、この傾向は、次の衆議院選挙にも連続する。
私たちは、「菅首相に反対」することが、
- 今の日本政府の新型コロナ政策に反対
することだ、ということを、よく理解しているのだ! どう考えても、今の日本の新型コロナ政策は間違っている。特に、菅首相と小池東京都知事が語った
- 「在宅療養」という「在宅棄民」
を絶対に許してはならない、ということを、よく分かっているのだ! ここは、今の、一里塚である! 考えてみてほしい。在宅に捨てられた国民は、医者に診察してもらえず、時間が過ぎれば過ぎるほど、急加速度で、症状が悪化することが分かっている新型コロナにおいて、どれだけ
- 早期発見、早期治療
が重要であることが分かっていながら、国家と東京都は
- 重症化しない限り、病院に行けない
と言っていることの恐しさを考える必要がある。重症化したら「遅い」わけで、そうなる前に「治療」をするから、重症をまぬがれるのであって、では、どうやったらその「治療」が可能になるかといえば、
を作るしか考えられない。医者が、各家庭を訪問するための、医者時間も人数を確保できるわけがないし、新型コロナの専門家が多くいるわけでもないし、そう考えるなら、もはや、野戦病院しか、ありえないのだ!
大事なポイントは、菅首相と小池都知事が、「自宅療養」と
- 言った
ことが、そのまま
- 野戦病院の「否定」
を主張していることになる、という「恐しさ」である。つまり、この二人のリーダーがトップに座り続ける限り、日本は野戦病院体制の整備を、ひたすら、この二人のトップによって
- 邪魔
される、ということを意味する。つまり、本来なら救われるはずだった、多くの国民が、この二人によって
- 殺され
て、死んでしまう、ということを意味するし、本来なら軽症ですんだはずの人が、この二人によって
- 重症化
させられてしまう、という恐しい、日本政治の「悪夢」が展開される、ということを意味する。
もはや、一刻の猶予も許されない。
なんとかして、この二人のトップを、今の地位から、ひきづり降ろして、政策を変えるか、この二人に自らの政策を変えさせるしかない。
しかし、である。
果して、この二人に、自らの政策を変えさせることはできるのだろうか? まさに上記までで語ってきたように
- 今さら変えられない
論者が、またぞろ、湧いてきて、今の日本の政治状況を振り出しに戻そうとしてくることは、WW2の頃から、何も変わっていないのだ...。