社会の仕組み

私たちはよく、人権と言う。しかし、そういった概念は、はるか太古の人間社会にいはなかった。つまり、そういったことが言われるようになった文脈がある、ということになる。
このことは、そもそも人権という概念の、「からくり」と言いますか、そのフレームが抽象的、かつ、複雑だ、ということを意味している。もちろん、そうであることが、この人権概念が重要でないことを意味するわけではないが、私たちは、もしもそうであるなら、太古の人間社会では、この問題がどのように扱われていたのか、といった文脈から考えてみる必要があると思われるわけである。
太古の人間社会とは、つまりは、

  • 村社会

である。村は、その村の中で、基本的には閉じていて、その少人数の中で形成されていた。ここにおいて、それぞれの個々の人々が、どのように、現代で言うところの「人権」に似た、諸関係を形成していたのか、と考えてみればいい。
まず、ある人は、ある別の人と、初対面だったとする。その場合に、この二人は、「たまたま」一言か、二言か、会話を代わすことになる。
しかし、会話を代わす、ということはどういうことかというと、

  • 二人は、なんらかの「貸し」「借り」の関係になる

ということを意味する。一方は、他方から、無償の「優しさ」や「プレゼント」をもらうわけだが、他方はそれをそのままにしておくことができない。なぜなら、その行為は、パブリックな場で行われるからだ。そういったものをパブリックな場で譲渡されておきながら、「返礼」を行わなかったとするなら、それは「不義理」と解釈されて、その村社会では、その人の評判が悪くなるわけである。
ある「優しさ」を受けたなら、それに相当するものを返さなければならない。これが太古の村社会を成立させていた「掟(おきて)」である。ここにおいては、全ての人は、すべての人のことを

  • 気にかけている

わけだ。常に回りにアンテナを立てていて、困っている人はいないか。悩んでいる人はいないか。と、心配をしている。そして、苦しんでいる人が、もしもいるなら、それを見つけた人が、まっさきに助けの手をさしのべる、のが当然の規範となっていた。
さて。ここで、「人権」の話に戻ろう。この太古の村社会に

  • 外部の人

が、ある時、入ってきたとする。すると、上記で考察したように、また、最初の「一言か二言かの会話」から始まって、上記の機構が働くわけだが、しかし当然だが、トラブルも時々であっても起こる。それは、そもそも、そういった「外部の人」が、村に入ってくるケースがめずらしかった、という事情もある。うまく、そういった

が、一定の時間と共に成功する前に、いろいろと揉め事を起こして、その人は、その村を出ていってしまうかもしれない。
つまり、「人権」とは、そういった「希薄な人間関係」における、それぞれの人と人との間に

に仮構しよう、という取り決めと考えることができる。私たちは、先験的に、

  • 村に外部から人が入ってくる

という「構造」を考えることができる。そうした場合、その人は結果として、その村に受容されていく、というプロセスを「先取り」して、

  • もしもそのことが分かっているのならば、あらかじめ、先に、その人を「尊重されるべき人」として扱う

という、一種の「マナー」が成立しうるんじゃないのか、と考えるわけである。
というのは、普通に考えつくように、

  • 誰でも、この「外部の人」と「その村の人々」との関係になりうる

ということは、より普遍的な構造だから、容易に想像ができるわけである。
つまり、この理解というのは、「知性」による理解である。
誰でも、ちょっとした事情によって、ある自分が育っていない村に、「よその人」としてお世話になる可能性があるわけだから、だとするなら、

に、そうなった場合の「よその人」を、一定の礼儀として、マナーとして、規範として、掟(おきて)として、その人を尊重する形で扱わないと、この構造は「成立」しないんじゃないか、と考えるわけである。
しかし、ここから、この話は複雑になっていく。
つまり、この「暗闇の中の跳躍」は自明ではないのだ! なぜなら、その「よその人」は、まだ、何者なのかが分かっていないから、だ。ゲーム理論の「フリーライダー」のように、他者を手段としてだけ使うような、鬼畜なのかもしれない。結果として、この村がそいつによって滅ぼされるかもしれない。そういった可能性を

に判断することはできない。だとするなら、この「人権」をどういった理屈によって正当化するのかは、それほど簡単ではないわけである。
例えば、ここで、ナチス・ドイツを考えてみよう。彼らがなぜ、世界中に侵略戦争をしかけたのかは、彼らの「人種思想」に関係していた、と言うことができるだろう。つまり、

である。つまり、彼らなりの「自然科学」の「成果」として、最初は、ドイツ国内の身体障害者を「劣等な遺伝子」として、

  • 殺処分

を始めたところから開始して、最後には、ユダヤ教徒の「根絶やし」を目指した、

  • 集団殺処分

を、何年にもかけて、「秘密裏」に断行した。つまり、これを彼らは「科学の成果」だと言ったわけである。彼らは「科学は進歩する」と言った(そして今も、一部の功利主義者などは、同様のことを言っている)。そして、その「成果」として、ユダヤ人を殺した。言わば、この「延長」として、彼らの「世界征服」は始まったわけである。
このことは、ある人間集団が、「特殊な思想」によって、染め上げられていったときに、上記の村社会のルールは、それに立ち向かえない、ということを意味している。つまり、この「人権」思想は、そもそもがこの

との緊張関係なしには産まれえなかった、と考えることができるわけである。ある人間たちは、別の人間たちを殺そうとしてくるかもしれない。
しかし、である。
このことは、逆に言うこともできるわけである。つまり、これに対抗するには、

に、そういった「萌芽」を示しているサイコパスを、より早い段階からBANしなければ、その小さなコミュニティの中の秩序を維持できないのかもしれない、と。つまり、そもそも人権の概念は、このアプリオリな操作の「不可能性」を、ある意味で体現してしまっているところがあるわけである。つまり、人権概念は、そんなに「優しい」アイデアではない、ということだ。場合によっては、

  • 怪しい行動をしている人を、「事前」に選別し、観察し、少しでも危険を察知したらBANする

という「監視社会」とセットにして、導入されてきた、という側面もあるわけである...。