新型コロナを巡る京大の宮沢准教授の研究

今回のオミクロンの流行においても、京大の宮沢先生は活発に発言をしているようだが、今までは、東京の大手マスコミは一貫して無視してきた。ただ、この前、ビートたけしの、TVタックルという、テレビ番組で、彼が出演者の一人として登場したことで、再び、彼に注目が集まっている。
(しかし、断っておかなければならないが、TVタックルは録画である。つまり、編集によって、彼の発言はかなり、カットされている。大事なポイントは、彼を東京のテレビに出すとしても、「怖くて、生放送には出せない」ということなのだ。)
宮沢先生の発言は多岐に渡るわけだが(まあ、ウイルスの専門家だし、ワクチン開発の専門家でもあるわけで)、素人の素朴な疑問としては、

  • なぜ、分科会の主要メンバーである、尾身会長などを彼が「説得」しないのか? または、それを試みた上で、「話を聞いてもらえなかった」から、別の手段に訴えている、という説明をすればいいのに、なぜそうしないのか? もしも状況としてそうだったとしても、なぜ彼は、日本中の他の多くの専門家や医学者に、自らの主張への「賛同」を求めて、自らの主張に賛同する「民主的」な圧力団体を作ろうとしないのか?

というのが出てくるわけだ。
ようするに、彼は専門家の間で相手にされていない。それはなぜなのかを彼は、彼のファンたちに説明していない。
そう考えてくると、彼は何がやりたいのか、が疑問になってくるわけだ。大手のマスコミからは相手にされないが、大阪のメディアを始めとして、一部からは取材される。その場合、一定の「金銭」をもらっているんじゃないか? もしかしたら、それが「目的」なんじゃないか、とすら、うがって考えたくなる。
どうして、そう受けとりたくなるのかというと、

  • 国民の多くは、岸田政権の「安全寄り」の対策を支持している

からだ。国民が支持しているものに反対だと言うなら、それなりの「理由」を用意しなければ、説得はできない。しかし、そもそも彼自身が、

  • 他の専門家

たちに、自分と行動を共にしてくれるように、説得をしていない。そういった態度され、見られない。
そうやって考えてくると、だんだん分かってくるのが、

  • 彼が心の中に隠している、「危険思想」

だ。
彼も一人の専門家なわけで、そこまで政府の方針と違うことを言っていない。リスクのある人がワクチンを打つと選択することに反対しているわけじゃないし、シチュエーションによってはマスクが必要とも言っているし、換気や大声での会話に気をつけて、と注意もしている。
つまり、そういうふうに聞くと、ようは「程度問題」でしかないんじゃないのか、とも受けとれなくもない。
では、何が違っているかというと、ようするに

を彼は若い頃から、心の中に抱えていて、

  • 国家は「国益」のためには、姨捨山を正当化すべきだ

という「思想」を隠しもっているから、

  • 基本的な姿勢

において、そう考えていない「ほとんどの国民」に共感できないんですね。
また、同様の主張は、小林よしのりも『コロナ論』で行っていますし、それに対して、宮沢先生は小林よしのりとは、「方向は同じ」と言っているわけですから、ここからも、傍証される、と言えるでしょう。

それぞれの立場で意見は異なると思いますが、私は個や一部集団よりも全体を考えます。個や一部集団にあまりにも重きを置くことで、全体が崩壊することを恐れます。
人によって死生観も人生観も異なります。私は長く生きることより、善く生きることに重きを置きます。時間は問題ではないと思います。
@takavet1 2022/01/23 21:02

高校生の頃に友達の父である天才的な外科医から影響を受けました。フルトヴェングラーの演奏もずいぶん解説してもらいました。彼は科学を医学に応用するな、長生きしてもろくなことはないと言う考えでした。長生きすることは人生の本質ではないと習いました。その友は19歳で交通事故で亡くなりました。
@takavet1 2022/01/25 10:07

ようするに、宮沢先生は、言ってみれば、相模原障害者施設襲撃事件の植松とも、かなり近いような、「優生思想」を、かなり若い頃から、心の中に抱いていた。そして、それは、ナチスの科学者たちが、最初は障害者への「ジェノサイド」から始まって、次第にユダヤ民族の民族浄化に向かって行った、という

  • ほとんど地滑り的に

その方向を止められなかったことから分かるように、やはり、こういった「思想」には、一定の人たちには、どうしても抗うことのできない

  • 善い

ことに思えてしまう(それは、植松にしても変わらない)、「思想の怖さ」があるんだと思うわけである...。