判例が先か?、法律が先か?

ここのところ、Netflix版「新聞記者」が話題になっている。
その一つの理由は、これが、「世界中」に配信されている、ところにある。つまり、

  • 日本の「タコツボ」の保守論壇の「ニセモノ言論人」が世界中にさらされる

というところにあったと思う。このドラマを見た世界中の有識者が、対して、日本に「変な総理大臣がいる」ということや、「変な総理大臣に忖度する変な御用上級国民がいる」ということや、「変なことを言っている」言論人がいて、彼らが風を切って世にはばかっていることが、世界中に

  • ばれて

彼らの「正体」が白日の下にさらされる、という画期的な意義があると思っている。
(売文業を目的とした、ネトウヨ系の知識人やジャーナリストが、そういった「日本国内での堕落した御用発言」を隠して、海外の人が日本の事情に詳しくないというのを利用して、海外のメディアで、まるで「一流の日本の知識人やジャーナリスト」であるかのように振る舞っていた今までが、これからは通用しなくなる、という効果こそが、最大の意味だろう。)
なぜこれが実現できたのかであるが、それがNetflixだったから、と言うしかないであろう。今の民法テレビで制作され、放送されているドラマは、ことごとく、

  • 全ての毒を消された

見ても、誰の心も痛まない、ファンタジーだ。つまり、ここには「個人攻撃」がない。なぜなら、そういったドラマは、テレビ局サイドから、政権に忖度され、日の目を見ないからだ。
しかし、そういった日本社会においては、

  • 出る杭は打たれる

のことわざのように、さっそく、御用マスコミによる非難に、このドラマはさらされている。
最初に、その口火を切ったのが、週刊文春の記事なのだが、それについて、以下の動画で、ジャーナリストの佐藤章さんが分析している:

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ここでの論調は、「フィクションだから改竄じゃない」という主張が基調になっているが、ここでも以下の文春の個所に注目している:

赤木さんがなぜ相澤氏に遺書を託したのかも重要なポイントだった。相澤氏はNHK記者時代、守友事件の報道で上層部に疎まれ、一人で事件を追いかける覚悟で巨大組織を辞めた。財務省といいう巨大組織に退治した夫との共通点を感じたからこそ、赤木さんは相澤氏に自ら連絡を取り、後に夫の遺書を託したのだ。

ようするに、赤木さんがなぜここまで不信感をもっているかの最大のポイントはここなのだろうと佐藤さんは考えている、と言うわけである。ドラマでは、ここが、相澤さんではなく、米倉が演じる、望月記者に変えられている。いや、望月記者は今も、東京新聞を辞めてないよね、というわけだ。しかし、東京新聞は、今回のドラマ化に全面協力している。ドラマとしては、この辺りは、シンプルにしたい、と監督は考えたのだろう、と。
他方で、以下では映画評論家の町山智浩さんが、ノンフィクションのフィクション化における、

  • 現実との変更

が、どこまで許されるのか、の議論をしている:

www.youtube.com

ノンフィクションを参考にしたフィクションが、今を生きている人を題材にしている限り、場合によっては、今を生きている登場人物には

が成立しうるだろう。
ようするに、町山さんはアメリカの話をしていて、アメリカではそうなっている、と言っているわけで、じゃあ、日本はどうなのかというと

  • 今まで誰も裁判で争ってこなかった

がゆえに「判例」がないから、判断できない、と言っているわけである。
一方で、フィクションの制作に制限があるというなら、それは、言論の自由に対して、どこまで正当化できるのかという話になるし、他方で、今を生きている人々の名誉は守られなければならない。
しかし、それと文春が言っている「改竄」だとか、「政府の森友事件でやっていることと変わらない」という主張は、まったく関係ないし、これこそデマなわけだw
そもそも、さ。このドラマには、どう考えても、「文春の記者」としか思えない、記者が赤木さんの前に現れるんだよね。しかも、かなり悪印象を抱かせる形で描いている。おそらく、文春は「戦闘モード」に入っていて、これからも、何度も何度も、あることないこと、名誉毀損になることを、ドラマの監督や望月記者に対して、記事にしてくるだろう。まさに、

  • 出る杭は打たれる

日本文化そのものだな...。