新型コロナとジャーナリズム

もう一つ、私が理解できないことがあって、それは、いわゆる「安全厨」と呼ばれている人たちが、主に、

  • ネット

上で、政府の新型コロナ対策に対して、不平・不満・反対を述べ、大手マスコミが、その政府の意向を受けて、国民に向けて、「要請」を行っている内容に、拒否反応をしているわけだが、だったら、なぜ彼らは

  • 分科会の尾身会長の記者会見に出席して、質問をしないのか?

というのが、まったく分からないわけだ。
そもそも、新聞の記事や、ネット上でのメディアの記事は、「概要」が書いてあるだけで、その意図は、その記事を発表した、新聞社やテレビ局などの、大手マスコミに

  • 直接

質問するのが常となっている。つまり、記事に疑問があるなら、まず、「質問」をして、その意図を聞くところから始めなければならない。それは、そもそも、こういった記事は

  • 文芸作品じゃない

からだ。文芸批評なら、批評する人の「解釈」で、思ったことを述べることは、往々にしてあるが、こういったジャーナリズムは、そういった性質のものじゃない。
なぜそうかというと、「裏をとらな」かったことで、その「デマ」が、二次被害、三次被害を起こしかねないからだ。
こういった対応は、ある個人が「日記」として、感想をメモしおく程度なら、読む方も「そういう想定で受け取る」から、大きな問題にはならないかもしれないが、その言説を

  • 商品として売る

場合は、問題となりうる。お客にお金を出させて、デマを信じ込ませるというのは、一種の

  • サギ行為

と解釈されかねないわけで、宗教団体が、だまして高額の壺を買わせるのと変わらないわけだ。
つまり、なぜか彼らには「ジャーナリズム」の基礎が身に付いていない。なぜか「調査報道」ができない。そして、そういったものを一定の品質を担保した、ジャーナリストの仕事と「同列」に本屋に並べることに、なんの躊躇もないところに、私は限りない疑いをもっているわけである...。