国連の今

私たちは、ある勘違いをしている。その一つが国連だ。
国連は「世界道徳の普遍化」が理念とされたものではない。ようするに、倫理学者が「世界の倫理はどういうものか?」「世界の道徳はどうあらねばならないか?」を体系的にまとめる

わけである。よって、国連について、倫理学者に聞くことは筋違いなのだ。
国連とは、歴史的産物である。しかし、その国連が採用しているルール「によって」、今の世界秩序が構成されている。そして、この延長に今の、ロシアによる軍事侵攻も位置付けなければならない。
早い話が、五カ国の常任理事国であり、拒否権のことを言っている。ロシアが常任理事国であり、ロシアが拒否権をもっていることは、端的な事実である。そのロシアが、拒否権を使って、自らのウクライナへの軍事侵攻への非難決議を否決していることも、端的な事実である。
これに対して、世界中の倫理学者が「ヒステリー」を起こして、そのロシアの蛮行への非難を騒いでも、そもそも、国連が

  • そういう仕組み

にしてあるのは、はるか昔から決まっていたことだ。この国連のルールに対して、別に今まで戦ってこなかった連中がこれを「反倫理的だ」と騒ぐことは、むしろ、お前の方こそ、反倫理的なんじゃないか、と言いたくなるわけだ。
こういった倫理学者を除いて、

  • 世界中の人

は、「国連とはそういう組織なんだな」と思っていたわけだ。なぜなら、そういうルールになっているから。そして、このことは、それ以上でも、それ以下でもない。
なぜ国連がそういうシステムだったのかは、当たり前だが、五カ国の常任理事国にとって、それが都合がよかったから、と言うしかないだろう。そして、それを世界中の人が認めてきた。もしもこれが嫌なら、とっくの昔に、このルールを変えればよかっただけであって、もしも今、ウクライナの人が次々と死んでいるのが「かわいそう」だと思うなら、なぜ自分は今まで、この国連のルールを変えるために努力をしてこなかったのだろうと、自らの今までの行いを後悔し、恥じるべきであって、たんに「それだけの話」だと言われても、しょうがないんじゃないか。
現状のウクライナの悲惨さは、もちろん、ロシアが攻め込んでこなければ起きなかったわけだが、だからといって、単純にロシアが「悪魔」だったことが証明された、というふうには決めつけられない。
もしもこれでロシアが「悪魔」だということが分かったなら、今度は世界中でロシアを「抹殺」しいなければならない、ということになる。まさに、ナチスドイツが行った「駆除」である。全員をガス室に送りこまなければならない。まあ、実際に、アメリカを中心とした国々は、広範なレベルでの「経済制裁」によって、罪のないロシアの一般市民の生活を弾圧し始めたわけで、この「目的」の実現にために一歩を踏み出している、と言えるのかもしれないがw
ロシアは、上記までの文脈を踏まえるなら、「国連のルールの中で動いている」と言えなくもないわけだ。もちろん、これに倫理学者は反発する。国連憲章に、武力による紛争解決の禁止があるのだから、「明らかな」国連憲章違反だ、と。しかし、これに対して、プーチンは「アクロバティック」な反論をしている。つまり、ドネツク、ルガンツク地方の「独立」を承認することと、その二つの「独立国」との

  • 集団的安全保障

を理由として、軍事的介入をしているのだから、しかも、国連はこの「集団的安全保障を認めている」のだから、矛盾しない、と。
もちろん、これを倫理学者は「屁理屈」と言うわけだが、プーチンにしてみれは、そんな倫理学者程度の批判は意にも返していないわけだ。なぜなら、どっちにしろ、「拒否権」によって、あらゆる国連決議は否決されるのだから。
こういった状況は、ある意味で、私たちが見なれた、勧善懲悪のテレビドラマが繰り返して表現してきたテーマだと言えなくもない。正義のヒーローは、悪の攻撃に絶対絶命のピンチになるとき、ちょっとした「とんち」のようなアイデアで、その危機を脱するわけだが、「これ」をプーチンがやっている、と読めないこともない。プーチンは、建前としては、

に対して、その「解放者」として、軍事的介入を「決断」したヒーローとして、ロシア国内では解釈されている。親欧米政権のウクライナが、マイダン革命以降の8年間、さまざまな形で、ウクライナ国内のロシア語話者に対して、さまざまな「弾圧゙」をやってきたことは、端的な事実だ。そういう意味では、ウクライナ国内は、8年前から、

  • 内戦

が続いてきた。特に、ドネツク、ルガンツクは「独立」を宣言して、それをウクライナ政府が認めないという形で「対立」をしてきたわけで、その中で、その地域に対して、ウクライナ政府は明らかな、

を今に至るまで続けてきた。
そして、「これ」に「正義の味方」として、助けていたのは、ロシアの救援物資だった。
ではここで、ロシアによるウクライナへの介入が正当化されない理由として倫理学者が使うのが「主権国家への内政干渉」だ。ドネツクもルガンツクも彼らが勝手に独立を宣言しただけで、ウクライナ政府も、世界中の国々も、それを認めていない。よって、ウクライナ政府による、ドネツクとルガンツクへの対応は全て、「ウクライナの内政問題」ということになる。よって、他国による、内政への介入は認められない、ということになる。
しかし、もしもこの理屈が正しいとするなら、ある国家の中で実質的な「奴隷扱い」をされている人々は、一生、奴隷のまま、ということになるだろう。
これに対して、なんからの解決策を提示してきたのは、国連の人権委員会だった。たとえ、一国の内政の問題でも、人権の観点で問題があると見られるものについては、国連がその事象をピックアップして、国連内で決議をして、実効性のある「救済策」を国連として行使する、というシステムとなる。
ロシアは、国連にも、この地域の「非人権的な状況」を訴え続けてきたことは間違いない。しかし、国連のそれに対する反応は一貫して鈍かった。その理由として、ウクライナが親欧米政権であることによって、アメリカなどが本気で、この地域の悲惨な状況を世界中に公にすることを嫌がった、という側面があったのかもしれない。もちろん、そこまでの被害が実際になかったのかもしれない。ロシアの告発はおおげさだったのかもしれない。しかし、どちらにしろ、現地の人たちにしてみれば、これを「国連」の人権委員会の「決定」を待っているべきだ、というのはそもそも「悲惨な被害が起き」たときに動きだす組織であり、その判断も、明らかに「欧米寄り」と思われているならば、そういった

  • 既存のルールの中

では救われない人たちを、その外部から

  • 正義のヒーロー

が現れて、自分たちを救いにきた、と受けとる側面があったとしても、いなめないわけだろう。
もちろん、ここで私は、ロシアがヒーローだ、なんて言いたいわけじゃない。戦争にヒーローなんていない。だからこそ、国際法があり、国際ルールがある。
この「ルール」が明らかに不完全なとき、そのルールを自分たちが変えようとしてこなかったくせに、そのルールに、まるで瑕疵がないかのように、そのルールの抜け穴を使おうとする行為を「卑怯」「反則」と罵詈雑言を浴びせているのが、今回のロシアの軍事介入に対する、世界中の倫理学者の態度だと言いたいわけで、もう少し謙虚になった方がいいんじゃないか、と思うわけである...。

追記:
ロシアがそれほど真剣に、国連にドンバス地域の非人権的状況を訴えてきていなかった理由としては、ロシアがドネツク、ルガンスクをこれまで、独立国と承認しなかったことと関係していると考えるのが普通だろう。ロシアが緩衝国にこだわってきたことから考えても、その二つの地域をウクライナ内にしておくことには国益があった。そう考えると、今回のプーチンの行動は、むしろ、次の選挙にむけた、ロシア国内の世論の圧力に押された決断だったとも考えられるだのかもしれない...。