ウクライナの極右勢力

日本における、ウクライナ戦争への意見は、とにかく今は、

  • ウクライナアメリカの言うことを疑うな
  • ロシアの言うことは全てデマであり、まるで検討するに値するかのような姿勢を見せている人を「敵勢力」として社会的な地位を奪え

といった「大合唱」が起きている。
私はこの一連の戦争を巡る世界情勢の騒動が終わった後に、彼らがそれらのツイッターの発言をツイ消しするかどうかを注目したいと思うがw、ほとんどは「どうでもいい」人たちなので、そんな連中の一人一人をいちいちウォッチしていられないw
おもしろいことに、この戦争と平行するかのように、アカデミー賞での俳優のウィル・スミスの暴力事件が「どっちが悪いか」の論争が日米で、それぞれ違った趣で行われた、といった報道が散見された。
日本の意見の多くは、「殴られた側が悪い」というものだった。そしてこれは、アメリカの主に、非富裕階層に多い意見だった。
反対に、アメリカのエスタブリッシュメントの大部分は、「殴った側が悪い」だった。
日本の反応は、別に「暴力が悪くないと言っているわけではない」という「前置き」で始まる。彼らは、過去からの、アカデミー賞であり、ハリウッドという環境の「差別性」の延長に今回の事件があるわけで、そもそもハリウッドが糞なんだ、という罵倒と共に語られる。
では、なぜアメリカの富裕階層は「殴った側が悪い」で統一されるのかというと、

  • そもそもそれがルールだから

に尽きている。アメリカの富裕階層で、社交的に振る舞うためには、これは最低限のルールなわけである。もしそれができないなら、たんに、そういった社交的な場に出てこなければいい、に尽きてしまう。
おそらく、アメリカの銃社会も関係しているのだろう。自分をコントロールできない人とは関われない。なぜなら、そういう人に、いつ銃で打たれて殺されるか分からないから。これが、アメリ銃社会の本質なわけだろう。なぜアメリカ国民に銃を携行することが許されているのかは、自分を守る権利があるからじゃなく、

と社会がその人を「認めた」から、と言うしかない。
早い話が、「たかだがビンタをしたくらいで」というグラデーションがないわけだ。どっちにしろ、暴力であり、特に、こういったフォーマルの場で「自分をコントロールできなかった」ということが決定的なわけだ。せめて、こういう場くらいは、なんとかならないのか。まあ、なんとかなからないから、この人なんだろうが、だったら、もういいよ、バイバイと。
ウィル・スミスは、今回の件で、アカデミー賞の会員を脱退したそうだが、別に会員じゃなくても、映画には出れるし、アカデミー賞にノミネートすらされる。まあ、相当なことがない限り、そうなることはないだろう、というのが世の中の解釈だそうだが。
今回のウクライナ戦争と、ウィル・スミスの件を比べることは難しいが、一つ言えることは、私がツイッターでの有識者の「怒りの表出」とウィル・スミスを並べたのは、そもそも、ジェントルマンとは、こんなに簡単に自らの怒りを「表出」する人たちじゃなかったんじゃないのか、という疑いがあるわけだ。
あれだけ「ファクト」が大事と言っていた学者さんが、ウクライナがさまざまに流しているデマに対しては、何も言わないか、気付かないふりをして、ロシアのそれには怒髪天を突いて怒り堕し、金輪際、絶縁だ、と。欧米メディアのウクライナからの発信情報は、一切の出典が添付されていないけど、すべて「真実」であるかのように信じ、ロシア側のものは、どんなに出典が示されていても、

  • 見たらダメ。ばっちい。汚れる。「ロシア擁護側」にひきこまれてしまう

と、目に入れることさえ、やっちゃいけない、の大合唱。
ちなみに、山本太郎は、れいわ新撰組の以下の記者会見で、この戦争が始まる前までの、欧米メディアや国連機関や人権NGOが、ウクライナでの民族派によって、どういった暴力行為が行われていたのかの報告を列挙している。

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つまり、話として、なかったわけじゃない。情報が古くて、最近は落ち着いていたとか、いろいろ言えるのかもしれないが、いずれにしろ、これまでほとんど注目されていなかった。それは一つは、ウクライナが最貧国の一つで、世界のマスコミが注目する理由がなかったことと、親欧米政権だったことで、ウクライナ内の反「親欧米政権」側の人たちへの「関心」そのものが低かった、ということがあるのかもしれない。
では、なぜここまで「残虐」な行為が、ほとんど野放しになっていたのかと考えると、そもそも、今のゼレンスキー政権の政権基盤の脆弱さがあったんじゃないのか、と言わざるをえないように思うわけである。
この状況は、戦前の日本と非常に似ているように思われる。なぜ、日本のWW2での戦争があそこまで悲惨になったのかには、当時の

  • 極右勢力

が、彼らの「主張」を政権中枢にずっと圧力をかけ続けていたため、政府与党が完全に「弱腰の態度を選択できなかった」状況があったわけだ。それは、軍内部でも、民間でも同じで、どっちにしろ、極右勢力は徹底した、断固聖戦派として、戦争を止めるという選択肢を絶対にとらせなかった。それは、どんな手段を使ってでも、戦争を継続させるために、与党幹部を暴力で脅し続けた。
これと同じような景色は、ウクライナの政治状況を見ると、ずっと続いていることが分かる。ゼレンスキーは最初、

  • ロシア寄り

の大統領として当選した。しかし、政府内の「極右勢力」の圧力に逆らえない形で、どんどんと、右寄りの政策を選択していくことになる。普通に考えると、ロシア語話者であり、ユダヤ人であり、最初はロシア寄りで大統領に当選したゼレンスキーが、急激に右旋回して、今に至ることは、ウクライナ政治内における「暴力的圧力」に逆らえないまま、周囲の極右たちの「操り人形」としてしか振舞えなかった彼の今に至るまでの政治生活があったのかもしれない。
そういう意味では、彼はWW2終戦時の昭和天皇と似ているのかもしれない。
考え方によっては、今回の和平案の保証国構想は、昭和天皇ポツダム宣言採択を決断した時と同じように、そういった国内の過激派勢力に「逆らって」、水面下で進めた、一種の「革命」なのかもしれない...。