人類滅亡の「功利主義」

今まさに、ウクライナの市民が、軍事侵攻してきたロシア軍によって殺されようとしているときに、その人を

  • 助ける

ための行動を「やらない」ということは、どういった理屈によって正当化可能なのだろうか?
こういった命題は、実際に今まさに、アメリカ政府によって語られているわけだが、彼らが主張している内容は、ひたすら

を起こさないため、でしかない。
しかし、それは理由になっているのだろうか?
こういった命題を多くの場合、考察してきたのが、「功利主義」と呼ばれる倫理学の一つの学説だ。トロッコ問題というのが典型だが、トロッコがもうすぐ目の前を通ることが分かっていて、私はこの車線変更のレバーによって、そのトロッコの進む道を変えられる。変えられなければ、

  • ある一人の人

が死ぬことが分かっている。他方、レバーを引けば、

  • (その人以外の)世界中のほとんどの人

が死ぬことが分かっている。さて、私はレバーを引くべきかどうか?
なにを言っているんだ。レバーを引いちゃダメにきまっているだろう、なぜなら、WW3で核戦争になって、ほとんど全ての全人類が死ぬのだから、と。
しかし、これを選ばないことは、「今ここ」にいる、目の前の、その人が死ぬことを、<眺めながら見殺しにする>ことを意味するわけで、本当にその選択は倫理的に正しいのか、を決められないわけである。
そもそも人間は、今ここで死んでいこうとしている人を見殺しにすることが、倫理的に正しい場合なんて、ありうるのだろうか? 私には分からない。しかし、少なくとも今、世界中は、この

  • (一時期流行した)リアリティーショー

を毎日、見させられている、という現実があるわけだ。
この吐き気を催させられる現実は、本当に、現実なのだろうか? 人間とはもっと、本質的に利他的で、献身的で、自己犠牲的な存在だったのではないか?
私がこのことに疑問をもつのは、そもそも人類は「滅亡してはならない、と言っていいほどの価値がある存在なのか?」が疑わしい、と思っているからなのだ。
まあ、ほとんどの人が、明日も人類が生き残るように努力して今を生きているんだと思う。しかし、もしも人間に、それだけの価値がなかったとしたら、この努力は反倫理的ということにならないだろうか? 今目の前で死のうとしている人を、全世界の人がテレビの前で見ていて

  • 誰も助けない

とするなら、そんな人類は滅びた方がいい、ということにならないのだろうか?
早い話、私はあめりかとNATOだけでなく、国連軍という形で、世界中の海外派兵が可能な軍隊は、ウクライナに派兵をして、ロシアを撤退させるべきだと思っている。たとえそれによって、ロシアが核ミサイルを使うことになったとしても、だ。なぜなら、それをしなければ

  • 「今ここ」で、まさに、ロシア軍によって殺されようとしている、その人

を助けることができないから、だ。
ところが、バイデンは、なぜか彼は、この戦争が始まる前から、「ウクライナアメリカの軍隊を派兵しない」と公言した。そして、まさにそれに「対応」する形で、プーチンの侵略が始まった。ここには、二人の

  • バーター

を疑うに足る、うさんくささがあると言わざるをえないと思っている。実際、今、アメリカの軍需産業とLNGの会社は

  • 空前の株高

を実現している。これを見て、まさに経済学が言ってきた「ウィンウィンの関係」そのものに見えないか? あのさ。イライラしてきた。もしもこの結論がどうしても受け入れられないと

であるお前たちが考えるならさ。もう少し、プーチンと「話し合い」をやろうと努力をしないの? お前たち、リフレ派の大好きな安倍元首相は、20回以上もプーチンと会談してきて、少しは

  • 面識

があるんだろ? あんなに、フランスのマクロンや、トルコの首相が会談をやってるのに、なんでお前はやんないの? やろうとしないの? 今、目の前でウクライナの人が死んでんだぞ。いい加減にしろよ、日本の偉い人たち...。なんで、自分の命を投げうってでも助けようとしないの...。