細谷雄一先生の「怪文書」を批判する孫崎享さん

えっと。今回のウクライナ戦争を境にして、次々と

  • NATOの東方拡大の約束はなかった

と言いつのる連中が現れたことは、まずもって、驚きを伴って迎えられたわけである。

iwj.co.jp

こちら、IWJでの、岩上安身さんによる、孫崎享さんへのインタビューなんだけど、その最後で、この話題について話されている。

NATO拡大をめぐって今でも論争になっているのが、統一ドイツのNATO加盟の交渉にあたり、ゴルバチョフ氏が「NATO不拡大を約束されたのか否か」である。
発端になっているのが、90年2月9日のゴルバチョフ氏とベーカー米国務長官(当時)との会談記録(日本語訳は筆者)だ。問題の箇所は、ベーカー氏の次の文言である。
「もし米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの管轄権もしくは軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大しない。そうした保証を得ることは、ソ連にとってだけでなく他のヨーロッパ諸国にとっても重要なことだ」
ゴルバチョフ氏の回想録「変わりゆく世界の中で」によると、ゴルバチョフ氏は「ベーカー氏の言葉や、統一ドイツの軍事政治的地位をめぐる当時の議論を反映した他の資料は、数多くの臆測や思惑の対象となった。ある人々は、ゴルバチョフにはNATOを拡大しないという保証がなされたと言う。別の人々は、ゴルバチョフNATOを拡大しないという保証は得ていなかった、もっと食い下がるべきだった、そうすれば中東欧諸国のNATO加盟問題も後で起きることはなかっただろうと語る」と記し、以下のように説明している。
「保証」はもっぱら統一ドイツに関して与えられたものであり、90年9月12日署名のドイツ最終規定条約で具現化された。
これは、旧東ドイツ領への外国軍の配置や核兵器とその運搬手段の配備を禁止し、西ドイツの兵力を大幅に削減するものだった。
ゴルバチョフ氏はこう問いかける。「あの時、旧東ドイツ領だけではなく、東方全体へのNATO不拡大問題を提起すべきだったのか」と。
そしてこう続ける。「この問題を我々が提起するのは単に愚かなことだったであろう。なぜなら、当時はまだワルシャワ条約機構も存在していたからである。あの当時こんなことを言っていたら、我々はもっと非難されていただろう。我々自身が西側のパートナーにNATO拡大のアイデアをこっそり届け、ワルシャワ条約機構の崩壊そのものを早めてしまった、と」
少なくともゴルバチョフ氏は「約束はなかった」と述べている。これはプーチン大統領の主張と食い違う。
プーチン氏は、ゴルバチョフ氏が口約束で済ませたのがミスだったとみている節がある。いま、米国などにNATO不拡大の確約を文書で求めるのはそのためだろう。
ゴルバチョフ氏は、NATO東方拡大のプロセスはドイツ統一とは別の問題だったと指摘する。その始まりは、ドイツ統一で成し遂げた合意の精神や相互の信頼が壊れてから何年か後のことだったとみる。
「もしソ連が維持され、すでにソ連と西側の間にできていた関係が保たれていたら、NATOの拡大は起きなかっただろうし、双方は別の形で欧州安全保障体制の創設にアプローチしていただろう。そしてNATOもまた、とりわけ現在、90年夏に採択されたロンドン宣言の条文が忘れられていなかったら、違った性質を帯びていたことだろう」
90年7月のロンドンでのNATO首脳会議で出された宣言はワルシャワ条約機構の加盟国に対し、「互いに敵とは見なさない」と表明し、NATOの政治的機構への発展、冷戦の遺物を克服するための貢献などがうたわれていた。
ゴルバチョフ氏は、統一ドイツのNATO加盟について「米国とソ連をはじめとする東西諸国の共同作業だった」と考えている。
ソ連側に2700万人もの犠牲を出した独ソ戦の相手国であるドイツ国民の統一の希望をかなえ、統一後のnドイツがNATOに加盟することを認めたからだ。ソ連国内の反発を抑え、国民を納得させる必要があった。
西側がその経緯を忘れたかのように、「勝者」として振る舞うことに、ゴルバチョフ氏は強い反発を示している。そこがプーチン氏と共通する点だ。ゴルバチョフ氏は21年11月に朝日新聞に掲載された「私の視点」で述べている。
「我々は冷戦に終止符を打った。米国の政治家は冷戦での共通の勝利を確認する代わりに自らの《冷戦での勝利》を表明した。ここに、新しい世界政治の基盤をぐらつかせた誤りや失敗の根がある。勝利者意識は政治でのあしき助言者であり、モラルを欠くものだ」
これは、先に触れたベースビッチ氏がインタビューで語った言葉とも重なる。「『共存条件』を外交を通じて探ることが必要です。安全保障上の基礎的な要求を互いに尊重し合い、軍拡競争を防ぐのです」
www-asahi-com.cdn.ampproject.org

まず、朝日新聞の記事だが、誤解が生まれてはよくないと考えて、該当の個所を全て引用したわけだが、

  • 「もし米国がNATOの枠組みでドイツでのプレゼンスを維持するなら、NATOの管轄権もしくは軍事的プレゼンスは1インチたりとも東方に拡大しない。そうした保証を得ることは、ソ連にとってだけでなく他のヨーロッパ諸国にとっても重要なことだ」

つまり、90年2月9日のゴルバチョフ氏とベーカー米国務長官(当時)との会談での、ベーカーの「この」発言が

  • なかった

と、ゴルバチョフは「言って」いないわけである。
じゃあ、朝日の記者はこの記事で何を主張しているのか、ということになるわけだが。

いや。述べていないw 少なくとも、この記事のどこにも、「約束はなかった」とゴルバチョフが言っている個所が引用されていない。つまり、これは完全に、朝日の記者の「ゴルバチョフは、直接はそう言っていないけど、そう言っていた、または、そういったニュアンスのことを示唆していた。事実、おで言っているとは、そう解釈できるだろう」と言っているわけ。でも、ゴルバチョフは上記のベーカーの発言を否定していないですよね。朝日の記者は、ベーカーが「言った」かどうかが論争になっている、と言っておきながら、ゴルバチョフ自身が「言っていない」と言っていないのに、勝手に

  • そう言っているはずだ

と言っているだけなわけ。

  • プーチン氏は、ゴルバチョフ氏が口約束で済ませたのがミスだったとみている節がある。いま、米国などにNATO不拡大の確約を文書で求めるのはそのためだろう。

これも、完全に朝日の記者の憶測。
それでは、細谷先生のブログを見ていこう。

サロッティ教授は、膨大な史料とその交渉の経緯を簡潔に紹介しながら、明確に、「そのような約束はなかった」と二度ほど明言しました。やや複雑な交渉でしたが、「約束」があったという人は、1990年2月9日のベイカ国務長官の、ゴルバチョフ書記長とのモスクワでの会談での発言を参照。
ここで、not one inchという言葉が出て来ます。袴田教授が2014年のゴルバチョフ氏のインタビューで、そこではNATO東方拡大の話題はなく、そのような約束はなかった、と書いておられましたが、他方サロッティ教授は実際には話題があり、そのような発言はあったとしています。
ここでの発言は、ベイカーがドイツ統一ソ連による承認を得るために、色々な条件を述べた中でそのような可能性を示唆したということであって、具体的には北大西洋条約5条の集団防衛条項を冷戦期の分断線を越えて拡げないという提案をした。多くの歴史家が、この発言を参照。
実際にベイカーがそのように発言した史料は残っており閲覧可能ですが、その後モスクワからワシントンに戻ってブッシュ大統領に報告をした際に、ブッシュ大統領はそのようなベイカーの提案は到底アメリカ政府として認められないということで、却下します。ですのでこれは米国の約束ではない。
サロッティ教授はここで、ゴルバチョフは交渉に精通して、もしもそれがアメリカ政府の提案であり、ソ連の利益になるとすれば、必ず署名をした文書に残すはずであって、実際にはそのようなベイカーの提案があくまでも米国政府の正式な提示ではなかったので、文章化もなかった、と述べています。
ここでサロッティ教授は、「約束」とは定義によるが、通常は外交では「約束」といった場合には、文書化して署名が必要であり、そのことはゴルバチョフも理解していたはずなので、その点では「約束」があったとは両者とも認識していない、と言及。なので、「約束は、なかった」ということに。
ただこのようなベイカーの発言自体は、ロシア政府側の記録に残っていたために、1997年にクリントン大統領とエリツィン大統領がNATO東方拡大についての米ロ首脳会談をした際に、ロシア政府側から「1990年のベイカー発言」について問題提起があったようです。
それに対してクリントン大統領は、1990年の「約束」とはあくまでもドイツ統一に関連した内容で、中東欧諸国についてではないと論じ、それをエリツィンも了解しています。これで、米ソ両国とも、1990年に米ソ間でNATO東方不拡大についての「約束」があったわけではないことを、確認したことになります。
この1997年の米ソ首脳会談での、NATO東方不拡大の「約束」はなかったという双方の確認は、その後のプーチン政権にとってはあまり都合が良くない。なので興味深いことに、2018年にプーチン大統領の補佐官が米国のクリントン大統領図書館のこの部分の史料について、未公開を要求しています。
これが、現在進行しつつある外交問題に悪影響を及ぼすという理由のだからのようです。なので、逆にそれを知ったサロッティ教授は、この1997年のクリントンエリツィン会談に重要な史料が含まれていると確信。その史料調査の結果、不拡大の「約束はなかった」という史実が明らかに。
ただし、私がほかのツイートでも書きましたが、サロッティ教授も冷戦後の米国の対ロ政策で、もう少しロシアの安全保障を考慮した外交も可能であったとして、米国政府内の路線対立についても触れました。米国の冷戦後の、勝利主義のようなものが傲慢な態度になったのでしょう。
note.com

これも、「怪文書」レベルの、謎文だよな。
まず、細谷先生は、

  • サロッティ教授は、「約束はなかった」と<言っている>

としか言っていない。
なにこれ?
もしも細谷先生が、そう考え判断したんだったら、こんなブログなんかに書いていないで、学会に論文として出せばいいわけでしょ。ところが、そうしないで、謎の「サロッティ先生」だって、さ。
しかも、嗤っちゃうのが、

  • 実際にベイカーがそのように発言した史料は残っており閲覧可能ですが、その後モスクワからワシントンに戻ってブッシュ大統領に報告をした際に、ブッシュ大統領はそのようなベイカーの提案は到底アメリカ政府として認められないということで、却下します。ですのでこれは米国の約束ではない。

と書いてあって、

  • イカーが言ったことは認めている

わけw えっ? じゃあ、これ以降、何が書いてあるの? ほとんど意味不明なわけ。
ベーカーがそういう発言をしたのか、これを問うていたはずなのに、謎の論点そらしがずっと続く。
しかも、お笑いが、クリントンエリツィンの対談だって。馬鹿じゃねえの。エリツィンなんて、アメリカの傀儡じぇねえか。こんな奴が、アメリカに何を約束したって、こんな奴、いくらでも、アメリカの求めているように言うにきまってるじゃねえか。この細谷って奴、そんなことも分かんねえの?

伊藤貫:先程言いました、ジャック・マトロック大使。マトロックさんは、話が少し戻りますけど、1990年と91年にアメリカ政府が十数回、ロシア政府にNATO拡大をしないと言ったときに、彼は現役の駐ロ大使だったわけです。ベーカー国務長官とか、NATOの最高司令官のスコーフロストがNATO拡大しないと言っただけじゃなくて、アメリカの国務省の局長レベルの官僚が、ロシアの外務省の局長レベルの官僚と議論しているときにも、アメリカの国務省の局長レベルの官僚でさえ、ロシアの官僚に向かって、NATOは絶対に東に拡大しないから大丈夫だと。だから、アメリカ政府全部がそう約束していたわけですね。それを、次のクリントン政権になって、全部ひっくりかえした、と。マトオッ大使はものすごく怒って、なんでこんな汚ないことをやるんだ、と。こういうことをやったら、だれもアメリカの外交官の言うことを信用しなくなる、と。だって、国務長官だけでなくて、アメリカの外交官もみんな約束したわけでしょ。それを全部、ひっくりかえしたわけ。それにたいして、マオロックさんが抗議したときに、クリントンホワイトハウスの外交官、担当官がなんと言ったかというと、口約束なんか、アメリカ政府は、いくら破ってもかまわないと。我々はNATOを東側に拡大しないと、十回も二十回も約束したかもしれないけど、そんなのは全部口約束にすぎない、と。口約束するために、書面を書いてサインしたけじゃない。だから、口約束なんて、いくら破ってもいいと。マトロックさんが非常に怒って、こんなのは薄汚い商売人じゃあるまいし、彼はそう言っているわけ。
m.youtube.com

えっと。アメリカは、

  • 何十回

も「約束」していましたw どうすんの。言ってたじゃん。言ってたことだけは間違いないじゃん。言っていたの? どっちなの? 私たち素人が、学者に聞いているのは、当時の文書を

  • 確認

して、そういう発言があったのか、なかったのかを、「確定」することでしょ? おい、細谷。当時の文書を確認したのか? やってねえんだろ。偉そうにすんな、ボケ。