馬と「精神」

よく、日本「文明」の優秀さを語る連中がいる。日本「文明」は世界に先行して「優秀」だ、と。
しかし、である。
私には、そういった議論がなにか有効な何かを語っているように聞こえないわけだ。
私は仕事がデスクワークだから、休日にちょっと、外出して、アウトドア的なことをしようとすると、そもそも、

  • 疲れて

すぐに、休んでしまう。まあ、当り前だけど、「交通」であり、移動は大変なのだ。
縄文人は、丸太の船で、魚などの魚介類をとっていたし、瀬戸内海などを渡っていたことが分かっている。おそらく、大陸との移動を簡易な船でやっていた人もいたのだろう。
ただし、

は、日本列島に渡ってきていない。つまり、縄文人は基本的には、列島を歩いていたのだろう。
だとすると、そこまでの移動はできない。時間をかければ、それなりの距離を歩くのだろうが、歩くとなると疲れるし、それ以外に考えられなくなるし、この「移動手段」が、私たちの存在を規定している。
歩いていれば、回りからの獣の襲撃のことも気をつけなければならないし、疲れるし、それ以外のことは考えられなくなる。
大陸の中国では、旧石器時代から、黄河文明を中心として、大規模農業社会が発展していく。その過程で、文字の発明や、馬による「移動」が行われるようになっていく。
もちろん、大陸は、はるかに広大で広いわけで、そこで、移動手段として、馬がなければ、これほどの広範囲での文化の伝播は起きえなかったのかもしれない。しかし、いずれにしろ、馬という「移動手段」が、

  • 文化的基盤

を決定した、ということは言えるわけだ...。