スマホゲーに対する人々の潜在的な怒り

なんていうかな。スマホゲームに対して、制作サイドと課金ユーザーの間で、根本的な認識違いが起きているんだと思っている。
テレビゲームでその歴史を考えたとき、まず、ドラクエがある。これは、初期はファミコンのカセットとして売られた。それから、基本的には、ローカルで楽しめる、買い切りの形式だった。
それから、一部、ネットを利用したサービスはあったが、これが基本となっていた。
この場合、このゲームを買う側には、とりあえず、このサービスを「買った」といった納得感がある。
そして、これを売っている側では、このゲームのある場面を、そのように作ったから「売れた」といった、製作者を「天才」として崇める関係が成立する。
しかし、である。
スマホゲームとなると、サービスの終了と同時に、このゲームを楽しめなくなる。売り切りじゃなく、ネットを介した、日常的なサービス更新タイプだけに、「開発の終了」が「サービスの終了」となってしまう。
そうすると、それまでにユーザーが行った「課金」が、実際は

  • 財産じゃなかった

ことに気付かされて「騙された」という気持ちになる。
上記の開発者は、自分たちは「天才」だから、そのゲームの「おもしろい」「瞬間」を売っていた気持ちでいた。しかし、ゲーマーはそうじゃなかった。課金は、そのゲームの中に存在する

  • アイテム

  • 買っていた

と思っていた。そして、当然、この「財産」は死ぬまで、どころか、死んでも保存されると考える。だから、当然、その「財産」を他人に「売る」ことだってできる、と考えている。
しかし、多くのスマホゲーは、そういったユーザーの当然の「直観」を裏切っている。
私は、これに対して、社会的な当然の「怒り」が、爆発すると考えている。つまり、スマホゲー業界の根源的な終り、である。
今、ラブライブはこの問題によって、終焉の危機を迎えている。スクフェスからスクフェス2への移行は、完全な前作のユーザーが注いできた課金「資産」を

  • リセット

しやがったw これで、多くの人が完全に「やる気をなくして」いるわけだ。そして、たたみかけるように、スクスタのサ終が言われて、完全に「信頼を失って」いる。
結果として、スクフェス2は、スクフェスと同じゲーム譜面を使っている。これを「別のゲーム」として、リセット扱いにするのは、あまりにも、やってはいけない禁忌を侵している、と言わざるをえない。ユーザーが今まで「課金」してきた「資産」を、ドブに棄てる、最低の行為だったと言わざるをえないだろう。
しかし、運営側に、このことへの感覚はまったく共有されていない。
彼らの「勘違い」であり、「傲慢」な態度が変わらない限り、何度も何度も、同じ誤ちを犯すことになるだろう...。