箸墓古墳は卑弥呼の墓なのか?

よく、邪馬台国九州説と邪馬台国機内説が対立していると昔、言われた記憶がある。
じゃあ、それから、これだけの月日が流れて、今はどうなっているのかなと思って調べようとすると、以下の動画が目についた。

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まあ、この人の言うには、そもそも学会で、九州説を唱えている人はいない(九州説の論文はない)ということが言いたいんだと思う。九州説は、マスコミやネット上で見かけるだけで、そんなことを主張している人は学会にはいない、と言っているのかな。
機内説では、箸墓古墳卑弥呼の墓と推測されているわけだけど、年代測定で魏志倭人伝とも整合的なくらいの古墳の年代ではないかと見直されてきている、とか。
例えば、以下の動画の方も、

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箸墓古墳卑弥呼の墓を前提に語っている(ちなみに、こちらの方は、宗伝の和の五王の武を雄略天皇として、この天皇が、大和王権での、全国統一に重要な役割を果たした、と言っている)。
じゃあ、なぜ箸墓古墳の発掘が行われていないのかというと、宮内庁が禁止しているからだが、まあ、この古墳の近くまでの調査が行われたことがあるので、けっこうなことが分かっている、ということらしい。
ところで、昔から、卑弥呼日本書紀にでてくる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこ)なんじゃないか、という説があるのだそうだ。

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たしかに、彼女についての日本書紀での記載内容が、魏志倭人伝での卑弥呼と似ている。おそらく、卑弥呼をそのまま、日本書紀に書くと、天皇の系譜と矛盾するから、こういった違った形で、サイドストーリーとして記録に残したのだろう。
さて。そういうわけで、じゃあ、九州説の人の反論が見たいなと思って、ネットを探したら、以下を見つけた。

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うーん。いろいろ書いているけど、なかなか苦しい立論に見える。つまり、九州かどうかじゃなくて、箸墓古墳卑弥呼の墓じゃない、という論証が、あまりうまくいっている印象を受けない。
つまり、さ。もはや、九州説か機内説かじゃなくて、箸墓古墳卑弥呼の墓なのかどうなのかが中心の話題になっているわけで、どっちでもいいけど、箸墓古墳の発掘は、さっさとやった方がいいと思うんですけどね...。