ラブライブシリーズは「ソロアイドル」を認めているのか?

虹ガクの映画を見てきたわけだが、一瞬で終わった。
なんだろう。歩夢がイギリスに短期留学して、そこで、スクールアイドルをやりたいという現地の友だちと出会って、その子と一緒に日本に帰ってきたという話。まあ、言いたいのは、日本以外では部活という文化がそもそもないということから、スクールアイドルが難しい、ということが言いたいということらしい。
明らかに、ラブライブシリーズ自体が、海外展開を目指していて、スーパスターも虹ガクも、どっちのアニメも、海外を意識して、メンバーにそういう人を入れたりしている。
それは、明らかに、

の野望を強く感じるわけ。つまり、もう、ラブライブ自体に、なにか新しい主張を感じないわけ。なにか新しいことを言いたいことがないんだけど、

  • 今の「マーケティング」を海外に広げることで、よりいっそうのお金儲けがやりたい

という「大人の事情」が強くにおってくる、作品作りとなってしまった、ということなんだよね。それによって、日本のファンにとっては、

  • なんで、こんなものを見させられているのか?

がよく分からない、つまり、「意図」が分からないストーリーが多くなってきてしまっている。
つまり、ラブライブシリーズと、視聴者との「乖離」が大きくなってきている、という印象を強くもっている。
ここで、虹ガクとスーパスターのストーリーを振り返ってみたい。まず、虹ガク一期の最初の数話は、このシリーズに大きな陰を落とした。歩夢がせつ菜のライブを最初に見たときそのライブの後、せつ菜はそれを最後に、同好会の解散を主張するようになる。この展開は昔から繰り返されてきた

  • 生徒会とスクールアイドルの「対立」

を反復している。しかし、その理由はまったく反対だ。つまり、生徒会長がすでにスクールアイドルとして活動しながら、

  • 自分がスクールアイドルを止める

ことを決断している。いや、だったらそれは、同好会の解散じゃなくて、せつ菜の同好会からの退団でよかったはずだ。しかし、虹ガクのアニメはここを深く、つっこまない(そこは、無理矢理、昔からの「お決まりのパターン」を反復するためだけ、といった印象を受ける)。
じゃあ、なぜせつ菜は止めることを決断したのかだが、それは、方向性の対立だ、と言っている。他の同好会のメンバーが「ラブライブ」での優勝を目指す、せつ菜の、そのためのスパルタの練習は、「かわいい」「ゆるふわ」路線の自分たちと合わないから、と言っている。
この「路線対立」を、正面からとりあげたことは評価していい。しかし、ここからが変なわけである。
というのは、なぜかこの話は、

  • ソロアイドル

という話になる。そして、このアニメ一期は、ずっと、ソロのライブシーンで埋められる。
つまりここに「飛躍」があるわけであるw せつ菜と他のメンバーの路線の対立というなら、他のメンバーでは方向性はあっているのだから、グループで活動していい。あとはそこに、せつ菜が加わるのかどうかでしかない。ラブライブに参加するかもそうで、せつ菜を除いたメンバーがラブライブに参加することそのものに、なんの障害もない。もちろん、その「ゆるさ」をせつ菜が「いい」と思えるかどうかは別だが。
つまり、「なぜソロアイドルという話がでてきたのか」を誰も説明していないわけであるw
おそらく、ここに、せつ菜の扱いが、それ以降、曖昧になってしまった原因があるんだと思う。
つまり、上記の「矛盾」が解決していない。していないけど、

  • ラブライブを目指さない」という方向性を決定したから、同好会を解散しなくて、せつ菜も止めなくてよくなった

という話に、(誰もそんなことを言っていないのに)してしまった、わけだw
こういう意味で、虹ガクは、あまり視聴者に説得力のあるストーリーにできなかった、というパラドックスを最初に抱えてしまった。
対して、スーパースターはどうだろう? スーパースター二期は、そもそも多くの「混乱」を抱えている。
それは、地区予選でサニパがウィーン・マルガレーテに負けたところから始まる。それによって、関東予選でウィーン・マルガレーテと戦うことになったリエラは、

  • 一年生問題

と取り組むことになる。つまり、一年生のスキルが二年生に追い付いていない、と。確かに、こういった問題はどんな部活でも存在するだろう。よって、そもそも一年生ですでに、レギュラーで出場できる部活は少ないわけだ。
よって、どうやってこの問題を解決するのかなと思って見ていたら、

  • 解決しなかった

わけw どういう意味? って思うじゃない。それは、文字通りの意味でそうなの。いや、一年のスキルが低いから、

  • ウィーン・マルガレーテに勝てない

と言っていたのに、その「対策」をやらなかった。つまり、スキルの落ちるメンバーもレギュラーに加えて、大会に挑んだ。「負ける」から対策が必要だ、という話をしていたのに、対策をしなかった。どういう意味? ってなるじゃないw ところが、それを誰も言わない。
去年、サニパに負けた二年生は、そのサニパに勝つために、練習をしてきた。その練習はすさまじかったのだろう。これで、ようやくサニパに勝てるかなと思っていたら、そのサニパが、ウィーン・マルガレーテに負けた。二年生でさえ、サニパに勝てなかったのに、そのサニパに勝ったウィーン・マルガレーテに、さらに二年生より、大幅にスキルで劣る一年生が「お荷物」としているのに、どうやってウィーン・マルガレーテに勝つのだろう、と

  • 普通に誰だって

思うだろう。
しかし、である。
このことには、一度として、回答が示されないw え? そんなことでいいの? と思うだろう。勝ったなら、勝った理由が必要なんじゃない? って。
部長の千砂都が、

  • 一年生がスキルが劣るから、ウィーン・マルガレーテに勝てない

って、冷静に分析したのね。つまり、これ。「課題」だったわけ。あのさ。普通に考えたら、「課題」なんだから、この課題を解決して、試合にのぞむよね。解決しないまま、試合にのぞんだら負けるよね。もしも負けないとしたら、

  • その分析が間違っていた

ということになるよねw ところが、関東予選は、リエラがウィーン・マルガレーテに勝った。
普通に考えると、

  • なにが起こったんだろう?

と思うじゃない。実はここで、「奇妙」なことが起こっている。

ウィーン・マルガレーテ:澁谷かのん。
澁谷かのん:マルガレーテちゃん
ウィーン・マルガレーテ:わたしが本当の歌を教えてあげる。歌は力。そして、わたしはわたしの力で未来をビルドする。歌の力で。
澁谷かのん:違う、違うよ。そんなの、本当の歌じゃない。

これが、(澁谷かのん役の伊達さんが、リエラ3rdライブ千秋楽で、「かのんの気持ちが最後まで分からなかった」と心情を吐露した)「問題」の場面なわけだが、上記までで私が議論してきた文脈を意識している人には、「なんで急に、こんな話になっているのか」と思われるんじゃないか。確かに、「本当の歌」という言葉を最初に使ったのは、ウィーン・マルガレーテだ。しかし、それを言っているのはウィーン・マルガレーテであって、リエラのメンバーには関係ない。リエラのメンバーにとっての課題は、

  • 一年生問題

だったはずだ。ところが、もはやその問題を考えているのは誰一人いなくて、みんなが「本当の歌」問題を考えている。
なにが起きているのか?
そう。もはや、誰も分からないw こういうのを

  • 論点そらし

と言うんじゃないだろうか。しかも、である。上記の引用個所は非常に問題含みだ。
というのは、文脈を考えると、ウィーン・マルガレーテは

  • ソロアイドル

という「選択肢」の可能性を示しているからだw それに対して、かのんは、

  • <そんなの(=ソロアイドル)>は、本当の歌じゃない

と言っているように聞こえるw つまり、スーパースターは虹ガクを「全否定」するために作られたんじゃないか、という疑惑がでてくるわけであるw
つまり、論理的におかしいわけである。
ウィーン・マルガレーテはサニパに勝っている。対して、リエラは去年、サニパに負けた。そこから、リエラは自らの課題を、「一年生」問題と位置づけて練習してきたはずだ。しかし、この問題は結局、解決されなかった。そのまま、「一年生」は一緒に参加する方を選択した。
そう考えると、当然、ウィーン・マルガレーテがリエラに勝たないとおかしい、ということになる。しかし、結果は逆だった。

  • なぜ?

普通に考えると、その「説明責任」は、審査員にあるだろう。しかし、この世界では、審査員が登場することはない。なにを「基準」に、順位を決めているの? そもそも、誰が決めているの? それが描かれることはない。
ただただ、無情にも「結果」なるものだけが告げられる。
しかし、ね。
そんなことを言うんだったら、サニパの二人だって、黙っちゃいないんじゃない? 去年、リエラに勝ったサニパは、なんでリエラに負けたウィーン・マルガレーテに負けたの? その

  • 審査基準

はなに? この二つは「同じ基準」で審査されたの?
この「カオス」な情況を、一切、無視して、スーパースターのストーリーは続くわけだが、じゃあ、その後に描かれたのはなんだったかというと、

  • かのんの「子どもの頃の夢=留学」問題

だ。ようするに、かのんの海外留学の話が急に、まいこんでくる。そして、それが「かのんの子どもの頃の夢を実現する近道」だ、ということが前提に話が進む。この話は、

  • ウィーン・マルガレーテの家族による、かのんへの「極端な評価」

と平行して存在する。つまり、ウィーン・マルガレーテの両親は、自分の娘を、かのんの下で、歌を学ばせたい、と言っている、というのだw
一体、どういう意味なんだろう、と思うだろうw ウィーン・マルガレーテの両親であり、彼女の姉は、音学家家族であり、非常に優秀な音楽家だ。そんな人たちが、かのんの下で、自分の娘をを学ばせたい、と言っている、というのだ。
どういう意味?
もちろん、かのんは先生でもないし、教員免許ももっていない。ウィーン・マルガレーテを「教える」って、なにを言っているの?
ここに「謎」が発生する。つまり、極端に、回りの大人たちが、かのんの

  • 才能

を、ほめそやし始めるわけである。かのんには「才能がある」と、回りの大人が言い始める。この事態が気持ち悪いのが、そうやって、ほめそやされるのが、リエラじゃなくて、

  • かのんだけ

という、大人たちの「選別」主義的な視線なわけだw 大人たちは、リエラというグループに、ラブライブ優勝という称号を与えながら、そうやって、

  • 選別

しているのは、かのん一人だけ、と言っているわけである。つまり、あとのリエラメンバーは、有象無象のゴミだ、とw よく考えてみてよ。こんな扱いをされている、スーパースターの、かのん以外のメンバーに、スクフェス2で、課金している、俺らの立場になってみてよw
かのんに留学の話がまいこむのは百歩譲っていいとしよう。だったら、

  • 他のリエラのメンバー全員にも、それと同じ留学の話が来ないと「おかしい」

と、おれは思うんだよね。もしも、そういうストーリーにしていたら、多分、おれは納得していたと思う。でも、そうじゃない。かのんだけ、とか言っているわけ。
なんか、本当に最低の「学歴社会」の縮図を見せられているみたいで、急激に、ここで冷めちゃったんだよね。なんで、アニメでまで、最悪の学歴社会の<現実>を見せられなきゃならないの。なんで、わざわざ、こんな

  • クソゴミ

を、お金を払って見なきゃなんねえの? ねえ、教えてよ。脚本を書いた人。
おもしろいよね。上記の引用から、かのんは、ウィーン・マルガレーテを

  • 全否定

した。その理由は彼女が「ソロアイドル」だから。「ソロアイドル」は、

  • そんなの「本当の歌じゃない」

と。ところが、そう主張して、リエラのみんなでラブライブに優勝したら、この優勝の原因は

  • 私に「才能」があった

からと、澁谷かのん「だけ」が留学できる、ということになる。あのな。だったら、

  • 最初から、澁谷かのん一人で「ソロアイドル」として、ラブライブに出場

しろよ。そして、ウィーン・マルガレーテと「同じ条件」で「勝負」しろよ。もしそれで勝ったら、澁谷かのん一人だけの留学を認めてやるよ。でも、やんなかった。そりゃそうだよね。だって、一期で描かれたように、

  • かのんは「一人」だと、人前で歌えない

わけだから。だから、音楽科自体に入れなかったのだから。なんで「人前で歌えない」奴が、ウィーン・マルガレーテに勝てるの? そりゃ、勝てないでしょ。勝てないのに勝ったとしたら、なんらかの

  • ドーピング

をやった、ということになるよね。この場合、「リエラの他のメンバー」ということになるんですかね。つまり、「リエラの他のメンバー」の力によって、ウィーン・マルガレーテに勝った。なのに、

  • かのんだけ留学できる

って、おかしくない? つまり、さ。結局、かのんの、なにを評価しているの? 彼女の「(他のメンバーを統率する)マネージメント力」が評価されている、んだったら分かるよ。あと、彼女の「(他のメンバーを)教える力」がすごいっていうなら、分からなくはない。しかし、そうじゃないっていうんでしょ。なんで、かのんだけが、留学を招待されたの? 頼む、誰か教えてくれ。
ここで、最後に、澁谷かのん役の、伊達さんが、なぜ「かのんちゃんの<そんなの、本当の歌じゃない>言葉を自分は言えない」と言ったのかを考えてみようよ。
つまり、伊達さんは、ウィーン・マルガレーテを

  • 全否定

することが、虹ガクのソロアイドルを全否定することと

  • 同値

だと、直感的に分かったから、ということでしょ。そりゃそうでしょ。どんな音楽だって、その人の個性であり、その人の「人生」なんだから、そもそも全否定がありえない。いや。だって、考えてみてよ。もしも、

  • 虹ガクの同好会に、ウィーン・マルガレーテが入部していたら

と。澁谷かのんが言った言葉は、そんな、虹ガクの「ソロアイドル」たちの

  • 多様性

を、

  • (虹ガクなんて、そんなのは)本当の歌じゃない

と虹ガクに喧嘩を売ったに等しいものだって、聞こえない? これ、相当に、物騒な話に聞こえてくるんだよね...。

追記(2023/06/24):
ニジガクの劇場版3部作が発表されましたね。当然、3年生の卒業があるわけで、なんとか最後まで描いてくれそうで安心した。