アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」第3話

いや。ずっと、スマホゲーム「ガルパ」をやってなかったので、よく分かってなかったんだけど、今放送されている、アニメ「まいご」って、まだ、ガルパに登場していないの? 2023年秋に登場って記事を見たんだけど。ちょっと、おもしろい展開をしているんだな。
それで、このアニメをネットで第3話まで見たんだけど、いや。誰がどう見ても目を引くのは、ボーカルの高松燈(たかまつとまり)でしょう。特に、第3話はその燈の一人称の視点から全編が構成されている。
まあ、作品内では「不思議ちゃん」と呼ばれているけど、引きこもりで人と話すのが苦手で、感性が少し、みんなと違っている。そういう

  • ひとりぼっち

の女の子をボーカルとしてバンド活動を始めるまでのストーリーとなっていて、まあ、どこか「ぼっちざろっく」に似てなくもない(こっちはあそこまで、ギャグ要素が少なめなだけで)。
なんていうかな。ここで「アイドル論」を語るのは違うのかもしれないけど、世紀末の90年代に急激に注目されたのが、エヴァ綾波レイだった。彼女の場合、テレビシリーズの前半がそうだけど、決定的に、高校のクラスの中で、回りの同級生と

  • デタッチメント

に描かれたわけだよね。それが「衝撃的」に受けとられた。そして、その後、同様なキャラと受けとられるハルヒ長門や、leinの主人公や。そして、こういった傾向性をもった少女を今では、

  • クーデレ系

と呼ばれるようになった。しかし、近年、そういったタイプのアニメのヒロインが絶滅してきた、と言われている。
そうやって言われたとき、そもそも、その「消滅」の理由はなんなのか、という形で命題を立てられることが多くなっていると思われる。
それは、端的な理由を言うなら、

  • (そのデタッチメントの)「理由」の方に(制作側の)関心(重点)が移った

ということなんだと思っている。そしてそれは、そもそもの、エヴァ綾波がそうだった。ストーリーが進むにつれて、彼女は何体も「コピー」があり、シンジの母親の「コピー」であることまで分かるという形で、「なぜそうなのか」の理由まで

  • 説明

されてしまったことで(つまり、「ネタばれ」されたことで)急速に関心を失っていった。
つまり、制作サイドが「なぜデタッチメントなのか」の

  • 理由

を、でっちあげるようになったw まあ、その流れは、ある意味では必然だったのだろうと思う。しかし、もしも理由があるなら、

  • 分かりやすい

わけでw、ということは、脚本を書く大人は、「子どもの悩んでいることが分かる」ということになってしまってw、完全に

的な作品の濫造が続いている、ということなんだと思うわけね。ある「困難」という「フラグ」があるなら、その困難を、

  • ストーリーの制作サイドが事前に、でっちあげる

わけ。つまり、その「困難」は最初から、解決される。いや、もっと言えば、

  • 最初から「解決」されることが想定される形で、クーデレの「デタッチメント」の「特徴」がデフォルメされている

タイプの話が増えたわけだ。ある女の子が、うまく回りと話せない。そうなると、

  • きっと、その「理由」があるはずだ

となって、あとは、その理由がミステリ小説風に「解決」されればいいんだ、といった、コンビニエンスなストーリーが濫造されるようになった。つまり、人間が「うすっぺらく」なってしまったわけだw
ある人の「困難」は、ある方法で「解決」できることが最初から分かっているなら、あとはそれをやるかやらないかの違いでしかなくなる。つまり、

  • クーデレの消滅

である。
ただ、第3話を見て思ったのは、

  • そもそも「言いたい」ことがある人しか、歌詞って書けないよな

ということなんだと思う。そして、だから、高松燈(たかまつとまり)がボーカルになるというストーリーなんだけど、まあ、普通に考えて、ぼっちざろっくの結束バンドでぼっちちゃんが歌詞を書いているのに歌わない、というのより必然感があるよな...(つまり、ぼっちがリードギターなのは必然なんだけど、ぼっちが歌詞を書くのに歌わないのは少し違和感があるんだよね)。