ジャパニーズ・アニメに隠されたメッセージ

新型コロナの流行がおちついて、5類に移行してから、海外からの観光客も復活して、日本国内は多くの外国人が以前のように見られるようになっている。そこに、アメリカなどの急激なインフレによって、日本の物価の

  • 割安感

も手伝ってか、非常に多くの外国人を東京では見かけるようになっている。
この現象を、どのように名付ければいいのかは、私にはよく分からない。ただ、一つ思っていることがあって、それが、

について、だ。とにかく、秋葉原に多くの外国人がいる。というか、なんというか、な。世界中のいろいろなところから来ていることはそうなのだけれど、例えば、

  • 白人(欧米人)

も、平均以上の人数で見かける。つまり、なんと言ったらいいのか分からないんだけれど、

  • なぜ、あなたはここに来たんですか?

と聞いてみたくなるような、そういった人たちが多いことに、少し困惑をおぼえるわけである。
例えば、日本のJPOPを考えてみよう。近年、世界的なランキングに日本の曲が登場することが増えたといっても、その多くは、世界ランキングのようなもので、ようするに、アメリカだったら、「アメリカ・ローカルのランキングじゃなくて、それ以外を意味する、ワールドワイドのランキング(つまり、そこには、多くの東アジア系の人たちを含んでいる)」だったりするわけで、そういう意味では、欧米・ローカルで、日本の曲がトップクラスになっている、という意味じゃないわけだ。
つまり、その延長で考えたときに、日本のサブカルチャーが向こうで、「トップクラスの人気」がある、という意味じゃない。そうじゃないんだけれど、どうも考えさせられるのは、

  • 世界中の各地で、「日本のアニメ」の<なにか>が、その人の琴線にふれた人が現れてきている

ということを意味しているんじゃないのか、と思うわけである。
そして、おそらくそういった流れに、大きな役割を果たしているのが、

なんじゃないか。ここで、英語字幕の大量の日本アニメコンテンツを「消費」した人、つまりは、海外の

  • オタク

が、隠れてではあっても、数えるほどではあっても、一定のボリュームでいて、そういった人たちが、なんらかのモチベーションをもって、アキバを見学に来るという、ムーブメントが見られているんじゃないか。
では、結局、日本アニメには、そういった多くの世界中のオタクを、どこまでも引き寄せる、なにが描かれているんだろう?
おそらく、私が思うに、

  • 優しさ(=優しい世界)

に引かれているんだと思っている。この「優しさ」とは、孔子論語でいえば、「仁」と同値である。
例えば、シュタインズ・ゲートの、鳳凰院凶真を考えてみればいい。彼の

  • 表面的

な「オタクしぐさ」は、一般人からは馬鹿にされ、嘲笑の対象とされており、それこそが

  • 自分たちオタクが世間から受けてきた(無理解という)仕打ち

であるわけだが、このアニメを見た人なら分かるように、彼はどこまでも優しいんですね。ずっと、仲間のことを考えて、いつまでもいつまでも、仲間のために必死になって、あがいてくれている。
ただ、この関係っていうのは、直接描かれないわけね。ある意味で、シュタインズ・ゲートは、鳳凰院凶真の

  • 一人称

で描かれるから、彼の「優しさ」を気付き、感動しているのは、彼の回りの人たちで、視聴者からはそのことが直接は伝わってこない関係になっている。論語の言葉で「巧言令色鮮仁」とあるように、一人称の鳳凰院凶真は、とにかく、不器用で、世渡りが下手な感じの「さえない」青年なんだけど、

  • 回りが、彼の「優しさ」に次第に気付いていく

という関係で描かれている。おそらく、こうやって海外から、わざわざ、アキバにまでやって来ている海外のオタクの人たちも、その<なにか>に気付いて、ひかれてやってきたんじゃないか、と思うんですけどね...。