日本の縄文時代は世界四大文明を超えるか?

義務教育時代に、世界四大文明なんていうのを習った。

と呼ばれていて、いずれも、大河の河口部に発達した。
しかし、下記の動画では、日本の

は、これらの世界四大文明に先行する「世界最大の文明」だったんじゃないのか、といった指摘をしている。
つまり、

  • 日本の「縄文」時代こそ、世界最先端の文明だった

と言いたいわけである。では、それは、どういう意味で言われているのか?

それまで調理といえば、「焼く」ことでしたが、熱に耐える土器の出現により、「煮る」「炊く」ことが可能になりました。煮炊きによって、固いものや生では口にできないものが食べられるようになり、木の実のあくを抜き、肉の腐敗を防げるようにもなります。つまり食べられる食材が増え、食生活が豊かになったのです。低温を保つ土器のおかげで、食物の長期保存が可能になったため、計画的な食生活が可能になり、食料を探して移動する必要がなくなりました。そこで一定の場所に集落をもうけて住みつくようになったのです。大きく重い土器をつくり、使うようになったことも、定住生活を後押ししたと言われています。
m.youtube.com

日本の縄文時代は、日本列島の高度に「食料」が豊富にとれる(身の回りに大量にある)環境であったがゆえに「発達」した、世界でも特化した、唯一無二の地域だった、と言えるだろう。
しかし、そういった日本列島の「優位性」をより、決定的にしたのが

  • 土器

だった。なぜ土器が重要だったのかは、上記の引用を見れば分かるだろう。これによって、

  • ほとんど現代とも変わらない「食文化」

を、土器がもたらしたからだ。土器は食料を、今まで人間は「焼く」ことしかできなかった状態を決定的に変えた。土器で、ことことと煮込むことによって、普通では口にできないような、あくが出るようなものでさえ、食事を可能にした。
(土器は下を土に埋めて、低温での保存も可能にしている。)
もっと言えば、土器の中で、さまざまな

  • 化学変化

を起こすことで、さまざまな対象を「変化」させることが可能になる。つまりそれは、(漆など)食料に限らなかった。
情況としては、狩猟採集で、遊動型の村落形態だったわけだが、上記の土器を使った「定住」に変化する。しかし、その形態は、いわゆる、大規模灌漑型の稲作とは違い、

  • 何十年のサイクルで移動

する、「焼畑農法」タイプだった、と言っていいと思う。そういう意味で、フロンティアが切り替わる形になっていて、一方で、狩猟採集社会の

  • 食料の「共有」

が実現されながら、他方で、ある程度の「定住」が実現されていたということで、非常に

だった、と考えることも可能ではないか、と思うわけである...。