アイヌ民族という「本当の日本人」

よく、日本は「単一民族」だ、と言われる。そして、そう言われるとき、そのことは、

をさして言われることが多い。同じ民族だから、協調行動が行われやすいのだ、と。
しかし、である。
このことは逆ではないのか、と思うわけである。
漫画家の小林よしのりは、アイヌ民族など「存在しない」と言った。つまり、私たちがアイヌ民族だと思っている人たちは、そもそも、天皇を中心とした、この「日本人」と差はないんだ。だから、「アイヌ民族」は存在しないし、彼らを「特別」に扱ってはいけない、と。同じ「天皇の子」として、本質が同じなんだから、日本には「日本民族以外は存在しない」と。
しかし、彼がなんと言おうと、近年のDNA解析によって、日本人のルーツは解析されてきている。その概略を、大まかにまとめるなら、

  1. 旧石器時代から縄文時代まで、そもそも、日本列島に住んでいた縄文人
  2. 縄文時代から弥生時代に変わる3000年くらい前に日本列島に渡ってきた、9000年前の中国の西遼河流域の黍農耕民が世界中に拡散していった「アルタイ語族(=現代日本語のルーツ)」の人たち(一般に、「しょうゆ顔」と呼ばれている人たち)
  3. 飛鳥時代以降に、さまざまに日本列島に渡ってきた「(中国の)渡来人」

となる。
大事なポイントは、この二番目の「アルタイ語族」が、現代の日本語の文法のルーツと考えられる、ということだ。確かに、彼らは中国大陸から日本に来ている。しかし、当時も(ある意味で今も)中国とは広い地域で、さまざまな部族や、さまざまな言語が話されている。今の中国語にも、そのなごりがあるように、中国の、ある一定の地域には、今の日本人とかなり近い「文法構造(=アルタイ語系と言われる)」をもった人たちが当時、住んでいて、彼らが日本にやってきた。彼らがそれなりの勢力を維持できたのは、

を彼らがもっていたから、と言える。鉄器や大規模灌漑設備による稲作、これをベースにした、

  • 国家の一極支配体制

の「輸入」が進められた。
こういった、(当時の一部の)中国人の日本の「侵略」に対して、日本の「現地民」である、

は、基本的には彼らの支配体制に吸収されていった。しかし、人口比率でいえば、縄文人の方が多かったわけだから、

  • 混血

が進む形になった。
そうして、飛鳥時代に奈良、京都に確立されていった大和体制は、必ずしも、一瞬で日本列島を掌握したわけではなかった。つまり、この文化的な影響は、少しずつ広がっていったわけであって、そんなに簡単に入れ替わるものではなかった。
つまり、「縄文人」は、東北や北海道に自らの居場所を追い込まれていった。
そういう意味で、比較的に縄文人の「文化」を色濃く残したのが、アイヌ民族であり、沖縄民族だった。
よく言われることとして、「縄文人」の生活スタイルを維持した人たちは、東北や北海道であれば、少なくとも江戸時代に入る直前くらいまでは多くいたであろうし、

  • 孤島

であれば、明治の直前くらいまで、そういったライフスタイルをしていた人がいたんではないか、と言われている。
こう考えてくれば分かるだろう。確かに、日本語の文法的なルーツは、アルタイ語族であり、しょうゆ顔の今の日本人の半分以上だ。しかし、

  • 太古の昔から、日本列島に住んでいた「本当の意味での」日本のルーツの民族

は「縄文人」であり、アイヌ人、沖縄人に最もその「特徴」が色濃く残っているのだ...。