世界最大のキリスト教徒国によって滅ぼされた日本のキリスト教徒

幸福実現党の及川幸久という人がユーチューブで、陰謀論系の内容を配信している。この人が長崎の原爆投下について解説してくれている。

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戦争というと、敵と味方がいて、お互いが殺し合いをしていることのことでしょ、と言われる。しかし、当り前だが人間はそんなに単純じゃない。こんなことを言っているのは、子どもだけだ。
考えてみればいい。ここで言う、日本人だとかアメリカ人だとかって、なんのことだ? その定義はなんだ? その定義があるからって、なんで、相手を殺さなければならない? つまり、ここに「一意」的な意味があるだろうと考える人は、どうかしている。
人間は複雑な存在だ。さまざまな世界に対する「解釈」の中で生きているんであって、敵の国の人間だから殺して、味方の国の人間だから救うなんて、そんな簡単じゃないのだ。
アメリカが長崎に原爆を落として、この戦争は終わった。しかし、なぜ戦争は終わったのだろう? いや、日本が無条件降伏をしたからなんだから、そこになんの疑問もない、と言うかもしれない。しかし、上記の動画でも説明されているが、それは変だ。日本が無条件降伏を選択したのは、

  • もはや戦えない

ことが分かったからだ。つまり、「ソ連の参戦」だ。二方面から攻められて、それに立ち向かえる戦力が日本にはなかった。そもそも、ここまで日本が降伏を躊躇っていたのは、ソ連に中立的介入を期待していたからであった。
(このことは、今のウクライナ戦争を考えてみれば分かる。アメリカは必死になって、ウクライナに停戦をやらせないようにしている。とにかく、アメリカにとって「戦争の継続」こそが「国益」であって、絶対にロシアに戦争を止めさせてはならないのだ。アメリカが実現したいのは「無限の戦争継続」だ。これによって、無限にアメリカ国内の軍事会社に国のお金をプレゼントし続けられる。アメリカの中央官庁のトップ全員が、アメリカの軍事会社の準社員として「抱え込まれている」ことは周知の事実なのであって、よって、この戦争が永遠に終わらないことだけは最初から決まっているのだ...。)
アメリカは最初、広島に原爆を落とした。次に長崎に落とした。普通に考えると、ここで止めなければならない理由はない。3発目を落としたって不思議じゃない。その対象として、新潟県長岡市などが候補として挙がっていた。しかし、やらなかった。
というか、そもそもアメリカは長崎に原爆を落とすつもりはなかった。その日、たまたま、天候が悪く、小倉に落とせなかったから、長崎に変更されていた。
しかし、である。
長崎にアメリカは原爆を落としてはいけなかった。なぜなら、長崎には、浦上天主堂があったからだ。浦上天主堂は、日本最大のキリスト教教会で、一万二千人が収容できた。そして、当日、「許しの秘跡」という祈りの儀式が行われていた。八千五百人が死亡。生き残っても、彼等信者は、後遺症などで苦しみ続けた。
日本におけるキリスト教は悲劇の歴史だった。江戸時代に、ヨーロッパから渡ってきた宣教師は、当時の、日本人を奴隷売買していた商人たちと江戸幕府の視点からは区別できなく見られていた。その延長で、日本において、キリスト教は弾圧された。
しかし、である。
この国家による弾圧に抗い、戦い続けてきたのが、九州の隠れキリシタンだった。彼らの精神は崇高だった。これだけの国家の弾圧にも関わらず、彼らは決して信仰を棄てなかった。キリスト像を見つからないように隠しもって、何世代にも渡って、信仰を続けてきた。
彼らは、

  • いつか

神による恵みが与えられることを一心に信じて、毎日を生きていたのだ。そんな彼らは、一瞬にして、なんと、

によって、全滅させられた。きっと、いつか。いつかきっと、神の恵みが与えられることを信じて生きていた日本の隠れキリシタンは、アメリカの

によって、無慈悲にも原爆一発で、瞬殺された。そして、これによって日本のキリスト教は全滅した。
もしもこのことに、なんの罪の意識ももたないアメリカのキリスト教徒がいるとするなら、そいつは、キリスト教徒じゃない。邪教徒だ。つまり、アメリカは

  • 自らが「間違って」行ってしまった<罪の重さ>に耐えられなくなって

日本と終戦したのだ...。