問題未解決型バンド

アニメ「バンドリMyGO」第11話は、まあ、箸休め回といいますか、なんとも、(どこか不穏な雰囲気を隠しもちながら)ひとまずは、平穏な空気が流れた回だったな、と思いますね。
そして、興味深かったのが、ここで楽奈ちゃんの個人ヒストリーが垣間見られた、ということだろう。そして、(まあ、察していた人は多かったのだろうが)バンドリの過去作での舞台となった、ライブハウス「スペース」の名物オーナーが、楽奈ちゃんの「おばあちゃん」だったことが語られる。それだけじゃない。楽奈ちゃんが、ライブハウス「スペース」が終わったことへの自分の気持ちが語られる形となって、興味深い回になった。
あと、なんだろう。sumimiの初華と海鈴が教室で会話している場面があり、どうも初華の演奏時に海鈴がサポートでベースをやっていることをうかがわせる会話があった。それだけじゃなく、美容系ユーチューバーのにゃむがドラムセットを買ったといった投稿動画が写されたりと、少しずつ

  • Ave Mujica

結成のフラグが立ってきているような印象も受けるが、この後半にきて、二回に渡って、まるまる、祥子の登場がない。その代わり、前回であり次回にまた睦ちゃんの登場が予告で、またライブを見にくるという形で描かれていたわけで、あと二回くらいしかないはずなんだけど、こっちの方の決着がどうなっていくのかが気になってくる。
対して、バンド「MyGO」については、なんというか、

  • こんな雰囲気なんだろうな

という、「あきらめ」とも違うんだけど、なんとなく、みんな分かってきた感じなんじゃないか。つまり、このバンドは、

  • 問題を解決しない

バンドなんだな、ということが分かってきた。なぜ、愛音ちゃんがいるか。それは、このバンドの「存在意義」が、そこにあるからだ。このバンドは、別に、技術がうまいから集まっているわけじゃない。このバンドは、最初から「解散」によって、その意味を決定づけられている。つまり、

  • CRYCHICの解散

によって、その形態を決定づけられたバンドなのだ。このバンドは、燈が「CRYCHICの解散」に対して、それを受け入れられない中で、「あがき」ながら、

  • 前に進む

ことを決意して生まれたバンドだった。このバンド「MyGO」は、そもそもが、CRYCHICのメンバー3人を含んでいる、CRYCHICの「引力」にとらわれた3人が、どうしようもなく、含まれているバンドだ。そうであるがゆえに、絶対にCRYCHICの引力から逃れることはできない。彼らはCRYCHICの解散を「死ぬまで歌い続ける」ことを、すでに最初から運命づけられているのだ。
彼らのアイデンティティは、CRYCHICの解散にある。この解散に対して、それを乗り越えることも、それを受け入れることもできない、ずっと

  • 後悔

し続けるバンドなのだ。彼らはずっと「間違えた」ことを後悔している。しかし、たとえそうであったとしても、

  • 前に進む

ことを選んだ。そういう意味で、ここに、愛音がいなければならない。メンバーの過半数である3人もCRYCHICの元メンバーがいながら、愛音と楽奈という「第三者」がいることで、明確に「決別」を選ばざるをえない形になっていることが特徴なのだ。
つまり、このバンドは常に「現在進行形」で、決して、「解決しない」のだ。みんな、バラバラで別の方向を見ている。でも、彼らは多くの問題を抱えながら、唯一の決断である、バンドをやる、ことを選んだ。この

  • 解決していないのに、「前へ進む」

ということ「そのもの」が、彼らのアイデンティティになっている。彼らは、結局のところ、なにも彼らそれぞれの、個人的な問題は解決していない。そして、ずっと解決しないままであることが、もはや自明であるのにも関わらず、彼らはバンドを続ける。そして、最後の長崎そよの高級タワマンの一室で、みんなで徹夜して川の字になって寝ている

  • 平和

な姿だ。この場面は本当に考えさせられるものがある。この一室は、長崎そよがずっと苦しんできた部屋だ。そこに「みんな」がいる。みんなが、一緒にいる。ライブが終わって、長崎そよが「自分がバンドを終わらせにきた」と言いながら、燈の「ずっと続けている」という言葉に涙が止まらなくなったあの場面で、なぜ、長崎そよが泣いてしまうのかは、彼女のこれまでの、このタワマンの一室で

  • 孤独

に苦しんできた日常がある。その彼女の「苦しさ」を象徴する場所に、みんなが平和そうに寝ている姿は、なんとも言えない、ほんのひとときの、長崎そよの「救済」を意識させてくれる...。