「鬼滅の刃」は、正直、私はもともと興味がなかった。まあ、ジャンプだし、読まないわけだ。そして、それと同時に、アニメも見ていなかった。
とはいえ、劇場版の無限列車編を見に行く前には、テレビシリーズはひととおり見てから行った記憶がある。そしてこの劇場版は、なるほどと思わせるような
- 大ヒット
をして、ほんとに長い間、ロングランの観客を集めて、その当時の大ブームを確かなものにした。
しかし、私の印象としては、「鬼滅の刃」の
- 人気
の頂点は、あの無限列車編のときだったんじゃないか、という印象がぬぐえない。それだけ、煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)と上弦の参の猗窩座(あかざ)との戦闘は印象的だった、ということだと思う。
しかし、この二人の戦いのなにが、人々を引きつけたのかについては、多くの人によって語られてきた。結果として、煉獄杏寿郎はこの戦いで死ぬわけだが、彼が死ぬまでのこの二人の戦いは、とにかく、奇妙な展開をする。
まず、一貫して猗窩座は煉獄に「鬼になれ」と誘い続ける。そう。戦闘中、ずっと猗窩座は煉獄を誘っているのだ。これは、死ぬ直前まで変わらない。つまり、
- 本気
で誘っているわけである。もしもその気がないなら、こんなに戦闘の間、ずっとなんて誘わないのだ。
これに対して、煉獄は、たんにまったく相手にしないだけではない。煉獄の猗窩座の「断り方」は、どこか現代人を「不安」にさせるような、
- 奇妙な
ロジックによって語られているわけだが、この関係を「カント」によって説明した知識人は多い。
これに対して、猗窩座は
- まったく理解できない
という態度で、煉獄を「狂った人」を見るような目で眺める。彼は「なんて人間という生き物は、愚かで、不合理な行動をするのか」と嘆く。そう。なんか見たことがあるんじゃないか。東浩紀の
- 持論
そのものだw
とにかく、みんな不自由すぎるよね。
そういえば今度出る読書人のインタビューでは、「ぼくは考えるのが楽しいから本を書いているのであって、楽しくなかったら書かなくなるに決まっている、哲学にとって楽しさは大事、みんな書いていて楽しくないんじゃないか」といった話もしています。
@hazuma 2023/10/23 19:29
彼の「観光客の哲学」を読めば分かるけど、そもそも彼の主張って自分ではポストモダンって言っているけど、実際は
- 政治的
な発言となると、リチャード・ローティとピーター・シンガーの完全な「口パク」と言っていいほどに、たんなる
しか言ってないわけね。全部、「自分にとって」都合がいいか。「自分にとって」有利か。自分が損しないか。そりゃあ、貧乏人がいつまでも貧しくて、自分がいつまでもお金持ちだったら
- 楽しい
でしょうねw 貧乏人が苦しんでいる姿を見ることほど「快楽」を与えるのは、ローマ時代のコロシアムから変わっていない。
そう。
- 東浩紀=猗窩座(あかざ)
なわけ。彼のツイッターを見てみれば、それは一瞬で分かる。必死になって、「東先生は頭がいいですね」っていうファンのツイートを
- 収集
して、
- 一列
に並べて、毎日、ファンからの「誉め言葉」を眺めて、布団の中で「ぐふふふ」とか言って、喜んじゃっているんでしょうね。この
- 醜い
ナルシストの「(ファンの誉め言葉という)自分の顔写真」を一列に並べて、毎日、血眼になって眺めている姿こそ、こいつの本性なわけね。
対して、
- 煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)=カント
がなにを言っているかというと、
- 自律
なわけ。「自らが従うと決めたものに従う」としか言っていない。カントの義務論は完全に「楽しいからやる」とか「なになにだからやる」といった傾向性を、
- でもそれは、(カントの義務論における)倫理=道徳じゃない
と、完全に切り捨てているわけで、ラディカリズムなんだよね。
つまり、まったく猗窩座との会話が成立していない。猗窩座が勝手に考える
- 人間にとって(お前にとって)、欲しいのはこれに決まっている
という、「決めつけ」「押しつけ」に対して、完全に
- デタッチメント
だということ。煉獄は猗窩座と会話をすることを拒否しているわけで、そして、猗窩座はなぜ自分が煉獄に会話を「拒否」されているのかが理解できない...。