この日本社会は言うほど「まとも」だったのか?

今、統一教会問題やジャニーズ問題で、日本の天地がひっくりかえったかのような「騒ぎ」を大マスコミは起こしている。
しかし、こういうのを見ていると、いや、そんなに日本社会って「まとも」だったんですか、って言いたくなるわけだ。今日も北野武が会見を開いていたけど、日本の芸能界には昔から、たくさんの「タブー」があった。それは、ある女優が急に、テレビの画面に一切出なくなったり(ところか、その人は普通に仕事を続けている)、昔から、枕営業の噂がある。
そもそも、この日本社会がどういった「秩序」によって成り立っていたのかを考えると、それが、「法律」を一枚岩にみんなが、その一言一句を実践してきた、なんてありえないわけだ。
どこの商店街も、地元のヤクザにみかじめ料を払って、その「秩序」の中で商売をやってきたし、そういった慣習はそう簡単に消えたりしなかった。
それは消費税にしたってそうだ。大手から仕事をもらう中小企業が、消費税が増税されたからって、その分の消費税増額分を大手が中小企業に払って、「値上げ」を許してくれるわけがない。そんなことを要求したら、別の会社に仕事をふられるだけ。法律なんて、そんな形ですべて

のような、どこかの別世界のことが書いてるにすぎない。
そんなことは誰だって分かっているわけ。分かってないのは、政治家と国家官僚。彼らが暴走したとき、日本は終わるの。
例えば、日本のサブカルチャーがなぜサブカルチャーと呼ばれているかって、こういうことなわけで、つまり、学術的な、アカデミックな評価とは一線を置いて、つまり、そういった価値観からはいろいろ問題があるから、それらとは離れて、つまり、

  • 自由な空間

として、一定の範囲の、そういったアカデミズムの評価と離れたところで実現されてきた。よって、アカデミズムからの「(いい意味でも悪い意味でも、どちらの意味でもの)評価」を

  • 拒否

した形で存立してきたわけだ。だから、そもそもアカデミズムがサブカルチャーに「言及」されること自体をけむたがり、やめてほしいと、「陰にかくれて」行われてきた活動だ、と言えるだろう(それは、現在の同人誌コミケの位置付けに近いものがある)。
しかし、そうい言ったからって、日本社会が完全なアナーキーだったと言いたいわけじゃない。それはそれなりの、ある種の秩序があった。まあ、先ほど言及したヤクザなども、その中に含まれる。そうしたとき、そうした「秩序」は現代にあわないから、全部排除すればいいと言ってしまうと、それによって成立していたさまざまな「秩序」がなくなるわけで、より悲惨な悲劇が起きる可能性がある。私たちはこの社会の秩序が、何層にもなった多重なものであることを認識して、その「歴史的な掟」がもたらす、多重なバランスを丁寧に見極めた上で、社会の秩序をパッチワークしていく苦労を止めてはならない...。