相変わらず「ゆとり教育」の夢が忘れられない宮台先生

今週のvideonews.comでは古賀さんを迎えて議論をしているが、元経産官僚の人が来てヒートアップしたのか、宮台が昔の杵柄よろしく、またぞろ、「ゆとり教育」をもちだしてきた。
以前あれだけ「反省」していたのに、「やっぱり、ゆとり教育をやればよかった」だってさ。いや。お前が政府の政策に「関与」できたのは、そのときだけだからな。「ゆとり教育」という看板を使って、日本中の教育を

  • 革命

しようとして、失敗した、ただの「(挫折してそのまま終わった)一発屋」だからねw
ゆとり教育」は、次々と高校までの授業数を「削減」して、日本の子どもの教育レベルを下げた。そして、宮台はこうやって、子供たちが「馬鹿」になったことを

  • いいことをした

と自慢したw 宮台の理屈はこうだ。子供は「読み書きソロバン」ができればいい。あとは、なにもしてはならない。<ただし>国家を運営する一部の

  • エリート

は例外だw 彼が卒業した麻布高校など、こういった限られたエリート高校だけは、まったくそういったルールとは関係なしに、詰め込み教育を行う。こうすることによって、

  • まったくお金のかからない日本の教育制度

が実現するw では、宮台はそうやって、学校に集めている、授業がなくなって暇になった子どもたちに何をしようとしたかというとそれが、「世の中学」だw つまり、社会人に学校に一日だけ来てもらって、「世の中」がどうなっているのかを話してもらう。そして、その中で「答えのない問題」を考えるトレーニングを行う。
しかし、こういった宮台の夢は失敗に終わった。なぜなら、宮台が間違っていたからだ。まず、「世の中」学は、そもそもが、学校で行われる行事であるため、学校の先生によって「コントロール」された存在でしかない。つまり、学校の教師レベルの「社会人レベル」の連中によって差配された、「水で薄められた<社会>」でしかないため、ほぼ意味がないわけだw
もっと言えば、そもそも、授業の削減が

  • 日本の<文系化>

を意味していたことを忘れてはならない。宮台は大学で社会学をやっているわけだが、この学問に、高校は不要だw つまり、高校は文系ではなく、理系のために存在している。そもそも宮台は、東大に入っているのだから、高校の5科目全部やって、東大に入っているわけだw 自分がやっていないくせに、「ゆとり教育」を理由に文系の科目だけで大学に入れるようにすれば、当り前だけど大学はどこも、文系の学科しかなくなり、日本の企業は文系が経営トップを(学閥によって)独占するようになって、どこの日本企業もマネーゲームしかやらなくなったw
むしろ止めるべきは、「無駄な文系的暗記」であり、「ほとんどの人が習ったこともないアイデアで問題を解かせる数学問題」といった、

  • (エリート選別のためのw)振るい落としのための(無駄に時間ばかり浪費させる)入試

なわけだろう。
本当にやるべきは、薄くでもいいから、幅広い学問を(安価な値段で受けられる)高校までで、多くの国民に教える、ことだったはずだ。高校数学の、三角関数微分積分も「アイデア」レベルでは必ず、全員にやった方がいい(現代の量子力学では、この世界の全ては「波」だと言っているわけで、これを教えないなんて、ありえないw)。同じく、物理、化学、生物学、地学も全部やった方がいい。最近なら、コンピュータの基礎もやったらいい。
なぜなら、そうすることによって、「裾野が広がる」からだ。多くの子どもが社会に出ていって、さまざまな業種転換をするときに、そういった授業のちょっとした体験が、その人に「自信」を与える。別の業種にチャレンジする動機や勇気や「きっかけ」を与えてくれる。そうやって、国民の中に多くの「経験者」がいるから、その中で、突出した発見をする人が現れる可能性が高まる(全ての分野において「薄い底辺」の裾野の広がりなして存在しえない)。
それは、大学にしてもそうだ。改めて、大学に再入学をするにしても、そういった大学の学科にチャレンジする「きっかけ」を与えてくれるものは、多くの場合、学校での授業だったりする...。