正直、私は日本の教育に興味がなかった。つまり、自分が大学に行ったときから、ほとんど、日本の教育について考えてこなかった。
例えば、以下の動画では、これまでの日本の教育について振り返っている。
まず、「ゆとり教育」だが、これによって、週休1日が週休二日になった。これは、すごいことだった。授業数が減ったわけだから、やれる授業量が減ってしまった。
それと同時に、私が大学に入って以降、実は、
- 大学の数が急激に増えた
わけ。それと同時に、
- 大学に進学する人数が増えた
のだ。私は素朴に、これは「いいこと」だと思っていた。実際に、こうなることを望んでいたからだ。日本の課題は、大学進学だ、と。大学に行きたいと思ったら、誰でも大学に行けるようになるべきだ。それは、家庭が富裕か貧困かに関わらず。
こういった観点で考えると、確かに日本は「あるべき」方向に向かって、「改善」してきたように思われる。
ところが、である。
より細かく、その実態を見ていくと、どうも私が考えたものとは違う姿が見えてくるわけである。
まず、ここで「増えた」大学は、
- ほとんどが私立
だということだw よって、当り前だが、「授業料が高い」。次に、私立と言っていることから分かるように、それらの大学のほとんどは、
- 文系の学部しかなく、理系の学部がない
わけw つまり、文系の博士過程に行くようなエリートが「就職できない」から、大学のポストを増やさなきゃいけないってことで、どんどん増えた。これって、完全にアメリカで、教育学部とか心理学部とかが増えた事情と一緒なわけねw
こういった社会学とか心理学だとかって、しょせん、実験とかアンケートとかだから、どんどん論文が生産されるの。だから、簡単に博士号がとれるw もう、やったもん勝ちなんだろうね。あとは、世の中のニッチな話題を探してくればいいんだから。これに対して、理系はそもそも実験をやっても、似たような研究結果は世界中にあるから、なかなか、新規の論文が書けない。そもそも、そこまでできる学生は企業がほっとかないから、どんどん企業に採用される。
必然的に、文系の博士号取得者が世の中に余るから、仕方ないから彼らのポストを用意するために、次々と大学が作られる。といっても、国は相当の理由がないと作らないから、私立になる。
「ゆとり教育」がもたらしたのは、まず、高校の授業を「選択制」にしたわけね。物理、化学、生物、地学を選択科目にするのから始まり、そもそも、二年生以降は受験対策として、受験で使わない科目の授業を受けない、なんていうのも増えた。
それによって最初から、数学や理科が苦手な子どもは、文系の科目だけで受験できる、そういった文系の大学を選ぶことになる。
しかし、世の中に出てみると、当り前だけど、理系の知識は社会常識なのね。数学はどこに就職したっているにきまっている。そりゃそうだよね。まず、会社を辞めて、次の働き口を探す場合を考えてみてよ。自分は文系だから、理系の科目はできませんって、その時点で、次の就職先が限られている。
ねえ。なんでこんな教育制度にしたの?
結局、「ゆとり教育」の正体を調べていくと、社会学者の宮台こそ、悪の根源だと思っているけど、その発想の根源に、
- 一般大衆には、「読み書きソロバン」以外を教えない。そうすることによって、国家が大衆を「管理しやすくする」
- 一般大衆を「支配」するのは、「エリート」だ。だから、東京の有名予備校や、有名進学校だけは「別格」のエリート教育を行う。
っていう「差別」「意図」が隠されていたわけねw つまり、最初からこれは、
- クーデター
だったわけ。2・26とか5・15と同じ。宮台が昔から、なにをたくらんできたか。まあ、彼が過去から書いてきた本を読めば、いっくらでもその「悪」の発想が分かると思うけど、本気でそれを見極めようとする人がいないんだよね(彼の弟子は必死で彼を擁護するんでしょうねw)。
宮台は日本でのドラッグ開放を持論として主張しているけど、それも、大衆を「馬鹿=幸福」にして、大衆をエリートが支配しやすいようにすることが目的なわけでしょ。まあ、発想が「ゆとり教育」とまったく同じわけね。
これによって、日本社会には「文系卒」ばかりが世の中にはびこった。彼らが何をやったかというと、
- 学閥
のつながりによって、それぞれの会社の「経営陣」を文系がハックした。財テクや経理で、株主をだまして、一時的な赤字隠しばかりをやった。つまり、文系はまったく
- 生産性
に寄与しなかったw 彼らの得意技は
- 人を「だます」こと
だったw 大学の心理学部で彼らが学んだのは、この「テクニック」だけだった(まあ、東浩紀とか見てれば、日本の文系の「人格」レベルは分かるでしょ)。
哲学者の永井均が「哲学をやるのに中卒で十分」というようなことを言っていたけど、だったら、文系は中卒で採用すればいいわけね。つまり、文系に高校のカリキュラムっていらないわけ。高校の科目のほとんどは数学や理科や最近ならコンピュータ系のためにある。つまり、宮台が彼が
- 革命
と思ってやったことは、子どもたちから高校で、数学や理科やコンピュータ系を学ぶ「機会」「時間」を
- 奪った
ということ。ほんとに、ありえないくらいの子どもたちの「機会」損失をやってくれたよ...。