松本人志と伊東選手についての論点整理

正直、松本人志のことも、伊東選手のことも、これといってなにかを言いたいことがないんだよね。というのは、思い入れがないんだよね。
松本は、子どもの頃にテレビを見ていたときは、松本の番組を見ることもあったと思う。しかし、大人になって、テレビそのものを見なくなった。アニメやドラマは気になったら、配信サイトのコンテンツとしては見るけど、お笑いなんて死んでも、何十年も見てない。強いて言えば、正月の昼間にやっている芸の披露くらいか。
対して、伊東選手についてはもちろん、日本代表としてずっとウォッチしてきた。しかし、だからといって、選手としてなにか、自分の人生にとって欠かせない人物、といったような属人的な思い入れはない。そもそも私の日本代表への関心は、日本というチームへの関心なのであって、日本という国のサッカーのスタイルだったり、そういったものの延長で考えているのであって、つまりは、「ワン・オブ・ゼム」だ。
こういった観点で考えたとき、この二人の今回の事件に対する「対策」は今のところ、非常に似ている印象を受けている。

  • 両方とも民事と刑事の違いはあるが、裁判で「訴える」側である。そして、そうでありながら、なにを争点としているのか、まったく、なにも言っていない。相手が「事実無根」と言っているだけで、なにも言っていない。
  • なぜ二人の問題を週刊誌が記事にしたのかは、二人が「公共的」な活動をしているからだ。松本は万博のアンバサダーであり、吉本は今では多くの公共事業を政府から受けている。伊東選手は言うまでもなく、日本代表の選手であり、日本の顔だ。
  • 二人が困っている理由や原因もまったく同じで、松本はテレビに出られなくなっている。伊東も日本代表の試合に出られなくなっている。その理由は「スポンサー」だ。スポンサーがこの二人をNGと言っているからだ。ようするに、世間がいろいろと、御託を並べているけど、二人が説得をしなければならないのは「スポンサー」であって、世間は関係ないのだ!

この三つのうち、論点は、最後に尽きている。そう考えると、そもそも

  • 裁判の「結果」は、「スポンサー」には関係ない

ということが分かってくるわけであるw 分かるだろうか? じゃあ、なぜ二人は裁判で訴えているのか? 勝っても負けても、二人が求めているものは返ってこない。返ってこないことが分かっているのに、なんで裁判をやっているの?
彼らがやるべきは、スポンサーへの「説得」だ。しかし、なぜそれがうまくいかないのかは、むしろ、この二人の方が骨の髄まで知っているわけであるw それは、自分たちが「やった」こととして、自分の回りの関係者に「話して」いることから、正直ベースで話していることを、その周囲の関係者は、その内容を正直に、それらのスポンサーに話して、

  • 今後のおつきあいを止めさせてもらいます

  • ドン引き

をくらった、ってわけ。まあ、サッカー日本代表の選手です。サッカーとは、子どもが楽しむスポーツです。その頂点である、日本代表の伊東選手は、

  • 一夜限りの女遊び

をやってました。頻繁にやってました。もう、常習犯です。今までは、その事実は世間にばれずに隠してきました。トラブルになりかけたら、お金で口封じをしてきました。しかし、今回は相手の女とトラブルになって、口封じに失敗しました。
おそらく、伊東選手が考えていることは、「相手の女になんとかして、訴えを取り下げさせる」ことでしょう。これを裏で、ずっと続けていると思います。しかし、たとえ裁判が取り下げられたとしても、彼が日本代表に呼ばれる可能性は限りなく低いです。
それは、松本人志の復帰と同じなんですね。つまり、二人とも、会見を開けない状況なわけ。会見を開いて、世間に向けて説明ができない。というのは、内容が内容だから、プライベートなことだから、話せない。話してしまうと、自分たちの過去の悪行が、どんどん、出てしまう。この話題をパブリックな場で語るということ自体が、自分たちがこれについて、さんざん悪行をやってきた自覚があるから、話せない。記者会見ができない。記者会見をやるときは、引退をするときだ、という自覚がある。だから、死んでもやらない。
つまり、この二人についてはすでに、決着がついている。彼らが求めるものは手に入らない、という決着が。じゃあ、裁判はなに? ただただ、無駄でしょう。二人の今後の人生にとって、時間を奪われるだけのなにかでしかない。それを、わざわざ自分からやっているという意味で、今の状況に対する二人の「受け止め」の

  • 混乱

から起きているなにかでしかないわけで、

  • 自分から訴えておきながら、

ただただ、証拠不十分で不起訴となって、裁判なんていう面倒事から開放されればいいな、と思っているわけだ...。