河宇鳳「朝鮮実学と日本古学の比較研究試論」

朝鮮というと、朱子学科挙両班の国というイメージがある。また、夫馬進「朝鮮通信使による日本古学の認識」(『思想 2006年01月号』*1)にもあるように、朝鮮の儒者にとって、朱子学に反する学問を推奨することなど、どう考えてもありえないでしょう。しかし、「朝鮮実学」という流れがあった、という指摘になっている。確かに、一方で、朱子学の学問体系がありながら、実学的な伝統がある、ということはそういう話があったが。丁ヤクヨンの『論語古今注』での、太宰春台の『論語古訓外伝』への言及の多さなどがふれられている。以下は、安鼎福の『順庵先生文集』にある、伊藤仁斎への言及から、伊藤仁斎が、いかに朝鮮においても、日本の印象を決定付ける上で、大きな影響を与えていたかを表す部分である。

彼の門人である林景庵文が書いた跋文に、「儒者の学問は曖昧模糊としたものをもっとも嫌う。道を論じ、経典を解くことにおいて、須く明白で正しくすること明るい太陽のもとの十字路にいるようにしなければならず、少しでも他人をだましてはいけない。牽強付会もよくない。他人の意見を借りてもいけない。とくに、自分を飾って端緒を隠すことを嫌う。また丹粧に飾って、従前の儒学者たちに媚をうって喜ばせてもいけない。こうしたいくつかの弊端を犯すことは、道を論じ経典を解釈するのに害になるばかりでなく、人の心術を大いに破壊するものとして、必ず知らなければならない」という伊藤仁斎の言葉を引用している。この言葉は実にいい。このほかにも格言が非常に多い。海の中、オランケの国でこのような学問人がいることは意外である。

季刊日本思想史 (56)

季刊日本思想史 (56)

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