柄谷行人「伊藤仁斎論」

この論文は、「探求」、の問題関心に近い。彼は、最初は徂徠や宣長をこの後論じるつもりだったが、やめた、とある。

私は仁斎について、「江戸思想史」というパースペクティブのなかで整理された知識しかもっていなかった。そこでは、否定的であれ、肯定的であれ、仁斎から徂徠へ、徂徠から宣長へという歴史的順序と意味づけが自明のようにみなされていた。しかし、私の読んだ印象はまったく違っていた。本論で示すように、仁斎の認識は根本的に徂徠や宣長と異質であった、後者によって乗り越えられていくといったものではない。その逆である。

たしかに、この仁斎の、論語への熱情は不思議な感じがしなくはない。どのように、仁斎を評価しているかは、本論を読んでください。

ヒューモアとしての唯物論 (講談社学術文庫)

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