浅田彰「逃走する文明」

ひさしぶりに、『逃走論』所収の「逃走する文明」を読んでみたが、ここで主に、相手にしているのが、家なんですね。

さて、もっとも基本的なパラノ型の行動といえば、<住む>ってことだろう。一家をかまえ、そこをセンターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子どもの尻をたたいて、一家の発展をめざす。このゲームは途中でおりたら負けだ。<やめられない、とまらない>でもって、どうしてもパラノ型になっちゃうワケね。これはビョーキといえばビョーキなんだけど、近代文明というものはまさしくこうしたパラノ・ドライブによってここまで成長してきたのだった。そしてまた、成長が続いている限りは、楽じゃないといってもそれなりに安心していられる、というワケ。ところが、事態が急変したりすると、パラノ型ってのは弱いんだなァ。ヘタをすると、砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕、なんてことになりかねない。

こうやって見ると、水戸学派の会沢正志斎「新論」の、天皇制を思い出しますね。アマテラスオオミカミの、後光を、世界のすみずみにまで照らそう、というわけで、最初は、日本国内の、さまざまな部族を滅ぼし、統合していき、次は、アジアに、広げていく(そんなことを続けたあげくが、敗戦、そして、戦後というわけですが)。こうやって、得体のしれない、強迫観念に動かされて、「パラノ」に突き進む姿が、祭政一致の日本の天皇制の歴史にダブるんですけどね。
彼本人は、全然動かないで、安全なところにいるじゃないか、という批判もあるようですが(理論とは、可能性としてあるので、えてして、そんなものですが)、多くの普通の人たちにこそ、影響を与えていたら、ずいぶんと見渡しのいい世の中になっていたかもしれませんね。-

逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

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