小池喜明『葉隠』

葉隠」というと、「武士道とは死ぬことと見つけたり」が有名であり、かつ、それしか知られていない(ちょっと、知識のある人は、三島由紀夫が絶賛していた、くらいだろう)。
しかし、この本では、「葉隠」というのは、今までの、そういう、武士道の教科書のようなものではない、という。つまり、「奉公人」道、だというのだ。
よく考えると、ちょうど、関ヶ原から、2、3世代ですよね。今の日本も、第二次世界大戦から、それくらいでしょう。雰囲気的には、似ているのでしょう。もう、圧倒的に平和なのだ。平和なんだけど、今の日本も、おじいさんあたりで、戦争を知ってる人がいて、彼らは、ちょっと現代に違和感をもって、生活しているわけだ。つまり、そういう時代のものなのだ。そうなると、今でも、右よりに傾きすぎた人で、極端に、過激なことを言って、いきがってる奴がいるが、そういう奴がでてくるくらい、平和になった時代だということだ。
さて、では、「奉公人」道についてであるが、ヘーゲルは、主人と奴隷の比喩から、『精神現象学』を始めたが、人間は、今まで、奴隷でなかったこと、というのはあるのであろうか(正確に言えば、中国の皇帝のような人を除いて、ということだが)。江戸時代においても、身売りのようなことは、かなりあったであろうし、ある程度の年齢に達すると、丁稚奉行に行く。まず、こういったことが、どこまで、奴隷というものと違うと言えるのか、だ。逆に言えば、歴史上において、自由とは、飢えて死ぬ自由、そのものだったのでしょう。

葉隠 (講談社学術文庫)

葉隠 (講談社学術文庫)