柄谷行人「E・ホッファーについて」

エリック・ホッファーについては、最近も、立花隆が紹介したりして、...、といっても、ほとんどの人が知らないだろうな。

エリック・ホッファーは、1902年ニューヨークにドイツ系移民の子として生まれた。よく知られているのは、彼が7歳のとき失明し、15歳のとき突然視力を回復したということである。当然ながら彼は一度も正規の学校教育を受けていない。人生のスタートで、こういう障害を自明のものとして引き受けることが何を意味するかは、ほとんどわれわれの想像を絶している。ふつうの青年が自己の可能性に関して過大な希望をもち、したがってまた過大な幻滅に陥ったりする時期に、ホッファーはすでに、生についての動じがたい見解を固有していたようである。

彼の少ない作品を読んでいると、なんというのか、...、なにか、夢の中のような、ふわふわ、というか、ものすごく濃密な現実がそこにはあるんだと思うんだけど、なかなかこちらからは、たどりつけない、といいますか。うまく言えないけど、なんか、ちょっと、ありふれた方向から、言葉をぶつけられているような感じじゃないんですよね。ほんと、月並な表現を使えば、社会の底辺から、ふきあがってきた、っていってもいいんでしょうけど。
だから、今の、第三世界の悲惨な現状や、先進国内の格差にしても、いろいろあると思うんですね。でも、こうやって、つきつけてくる、そのちょっと比較にならない力といいますか。たしかに、衒学的な面もあって、とっつきにくくもあるんだけど、言ってることは、シンプルですね。ちょっと前に書いたけど、普通、とか、幸せ、とか、共感、とか、もしそういったフレーズで、家社会を生きている、ほとんどのフツーの人には、なにか、とんでもないところから、こうやって発言してくる、他者の言葉を、たまには、みつめてくれると、違った世界が見えるんじゃないかな。

オルヴィン・トムキンスの『アメリカのオデッセウスエリック・ホッファー』によれば、彼は20歳にみたぬ年頃にすでに両親や係累を失っており、独りで生きること、人の好意に頼らないこと、どうせ短命だから何ものにも熱中したり執着しないこと、誰とでもいつでも何の苦悩もなく別れられるようにすること等を生活の格率にしていた。以後も彼はこの格率を守っている。これは、彼がものを考え書く以前からもっていたストイシズムであり、あるいはモラルと呼ぶべきものである。

ホッファーが選んだのは、いわばもっとも単純な生存である。日雇い労働をすること、金と暇ができれば図書館で本を読むこと、結婚もせず工場にも勤めないこと、おそらくこれは現代において独りの人間が生きていくうえでとりうるもっとも単純な形態である。

現代という時代の気質 (晶文選書)

現代という時代の気質 (晶文選書)