神野志隆光『古事記 天皇の世界の物語』

この本では、著者による、『古事記』の分析がされる。
ちなみに、序文の真偽については、序文は信じていいんだ、として立ち入っていない(倉野憲司『古事記全註釈 第一巻序文編』を参照だそうだ)。
ただし、天武天皇によって、その頃にはほとんどできていた、というような記述については、当時の、天武天皇を神格化するブームによって、太安万侶は意図しておおげさに(嘘を)いっているだろう、という立場だそうだ。
もう一つ、音訓の微妙な使い方について書いてある。稗田阿礼が誦むそのテキストは、おそらく普通の人にはまったく判別できないものだったであろう。太安万侶は、稗田阿礼の誦みから、相当な文章的な推敲によって作っただろう、と。

「訓」主体で書かれたものがそれだけで日本語として読まれ、理解されるためには、「注」をつけるだけでなく、接続詞を多用することによって意味のまとまり(区切り)をつけ、用字に意を払わなければならない。『古事記』では、字種をしぼり、一つの字の「訓」は限定して用いるが、そうした限定によって、日本語として読まれるための『古事記』の叙述は可能になったのである。安万侶以前にありえたもの(「誦習」+文字)は、その限定を経て大きく変わり、表現としては、安万侶のもとに統一を得るのである。しかも、「誦習」では日本語の元来の助詞・助動詞による表現がありえたかもしれないが、「訓」主体の方法ではそれを切りすてたところで書くしかない。

だから、かなり工夫してアクロバティックに書かれてあるのは確かですね。以下の古事記の例文が載っている。

故二柱神立(訓立云多々志)天浮橋而指下其沼矛以画者塩許々袁々呂々邇(此七字以音)画鳴(訓鳴云以那志)而引上時自其矛末垂落塩之累積成嶋是淤能碁呂嶋(自淤以下四字以音)

オノゴロ島の生成の場面で、「立」で「たたし」、「鳴」で「なし」、「許々袁々呂々邇」で「こおろこおろに」、だそうです。ちなみに、手元にあった『古事記』の翻訳では以下。

そこで、イザナギの命とイザナミの命の二神は、天界と下界とを繋ぐ天の浮橋にお立ちになり、その玉で飾られた矛をさし下ろして掻き回され、海水をころころと掻き鳴らしてその矛を引き上げなさった時、その矛の先端から滴り落ちる海水が重なり積もって島となった。これがおのずと凝り固まったの意のオノゴロ島である。(訳・緒方惟章『古事記勉誠出版

話が変わって、次に、どのような時代状況であったのか、の部分がおもしろい。
一世紀の頃から、奴の国や、卑弥呼の倭の国が、中国と朝貢を行う。これは、そうすることで、ほかの日本の中のさまざまな勢力に対して、アドバンテージになる。また後には、日本にとっての、百済新羅に対するアドバンテージを求めた面もあった、と。こういうのを、冊封というが、『宋書』の、478年の倭王武の上表文の訳が以下だ。

中国より冊封されているわが国は、はるか遠くの土地において、皇帝陛下のために夷狄に対する藩屏となっておりまして、昔から先祖代々自ら甲冑をまとって、山や川をふみこえわたり、身をやすめるいとまもなく、戦って参りました。その結果、東方では毛人五十五国を征討し、西方では衆夷六十六国を服従させ、さらに海を渡って海北の九十五国を平定いたしました。(この先祖代々の勲績によって)皇帝陛下の徳はゆったりとやすらかにゆきわたり、皇帝陛下が支配なされます領域ははるか遠方にまで広がることになりました。しかも歴代の倭王はいずれも皇帝陛下のもとに朝貢して、その年次を違えるということはありませんでした。陛下の臣である私は、愚かなものではございますが、悉くも倭王の位を継承し、部下のものどもをひきつれて、宇宙の中心であらせられる皇帝陛下に身を寄せ崇めたてまつるために、百済を経由して朝貢しようとし、船舶の準備もおこたりなくいたしておりました。(西嶋定生『日本歴史の国際環境』の訳文による)

うーん。だから、こういうことをやってたんですよね、日本って。あんまり、こういう時期があったことを無視して、ってのは、誠実じゃないんじゃないですかね。
この後は、古事記の本文の分析になっていくんだけど、まず、最初のところから、本居宣長の『古事記伝』の分析の批判から始まっていて、なかなか、興味深いと思う。