小島毅『父が子に語る日本史』

日本は、日本「ではない」。
このことの意味、なんですね。

この地方は、いまからおよそ千年前、アテルイという名の王が治めていました。京都の政府つまり「日本国」への服属を拒み、もし律令体制以外の政治機構も「国」と読んでしまってかまわないならば、自主独立の国造りを進めていました。
ところが、やが京都から強大な軍団が派遣されてきます。アテルイは敗れて投降し、殺害されてしまいます。「天皇に歯向かった」という罪状で。
このあいだ、君が使っている歴史の参考書を調べてみたら、この事件を「アテルイの反乱」と表現していました。天皇の政府は八世紀以降、多賀城という、いまの仙台市のやや北に置かれた城郭を拠点に、東北支配を進めていました。それに対抗する勢力は、当時もいまも「反乱」ということばで片づけられてしまいます。

でも、アテルイは「反乱」を起こしたのでしょうか? 天皇による「支配体制」にそむいたという点では、たしかにそうかもしれません。ただし、問題なのは、天皇による統治を、彼らがもともと受け入れていたのか、ということです。

アテルイは、「続日本紀」にでてきますよね。アテルイにしても、蝦夷にしても、東北(関東から北)には、ずっと「国」があったのだ。
なぜ、私たちは、そこにルーツを探らないのか。なぜそこに、自己を同一化しないのか。
日本は、やはり、広いんだね。いろんな集団、いろんな集落が、自然発生的に生まれ、続いてきたことの意味、ですね。
今回も、小島さんの本は、おもしろかった。今までの、小島さんの本の中で、一番びっくりしたのは、

海からみた歴史と伝統―遣唐使・倭寇・儒教

海からみた歴史と伝統―遣唐使・倭寇・儒教

ですね。遣唐使以後、国風文化と言って、まるで、海外との交流がなかったかのように思いがちであるが、多くの僧侶たちの国際的な関係が跡づけられる。この辺りが生き生き描かれていて、関心した覚えがある(読む価値あると思います)。また、その頃、中国では、朱子学が生まれるわけですね。これが、まったく、日本にも、影響を与えないわけがない。
今回の本もいろいろ、ほかにもおもしろい話がたくさんありましたけど、最後は、NHK大河ドラマ・ネタ、ということで(どうも、これが、恒例みたいだ)。

ところが、一方の攘夷のほうはどうでしょうか。明治時代は、外国との交わりを絶ったんでしたっけ? 明治の御代になってだいぶ経ってから、ある人物が、昔なじみで、いまや政府のお偉方になっている、もとの薩摩藩士を訪ねてきました。「ところで、攘夷はいったいどうなったんですか?」
そう、どこかに置き忘れてきてしまったんです。薩摩も長州も、幕末に攘夷をめざしてイギリスと小さな戦争を起こしますが、簡単に負けてしまいます。尊皇攘夷運動の指導者たちは、もはや攘夷は不可能だと悟りました。しかし彼らは、そのことを十分まわりに説明しないまま、倒幕へと突き進んでいきます。かつて、天皇の許しのないまま条約に調印したとして井伊直弼を闇討ちにしておきながら、彼らは井伊の政策を踏襲しました。でもそれは、直弼の名誉を恢復するものではありませんでした。なぜなら、安政の大獄で、彼らの仲間がたくさん処刑されていたからです。

今回の、篤姫では、井伊直弼について、かなり感情移入した、描き方で、ギョッとした人もいたんじゃないだろうか(もちろん、徳川家は、倒幕以後の明治政府で、名誉回復をはかられて、貴族院のメンバーになるわけですけどね)。いずれにしろ、井伊直弼の名誉は今、どうなっているのかなんですね。こういう問題、いろいろな場面であるはずですよね。
少し、言い訳的に書くと、篤姫なんて、原作者の完全な創作で、彼女について、わかってることなんて、ほとんどないはずですし、またその原作を、完全なホームドラマにデフォルメしたのが、これですからね。特に、薩摩藩の人たちが、京に来て、芸者遊びじゃないけど、そういう店で、遊んでいる姿は、(雰囲気は分かるけど)こういうホームドラマ風に描くと、みっともないもんですね(こういった座敷のような所で、詩吟がうたわれ、『精献遺言』などが、読まれたんでしょうか)。

父が子に語る日本史

父が子に語る日本史